規律とトレーダー 相場心理分析入門 | FX/CFD初級者〜中級者向け書籍
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規律とトレーダー
相場心理分析入門
成績が伸び悩むトレーダーにオススメの書籍
本書は相場と対峙する上で心理の重要性、うまくトレードできないトレーダーの陥りやすい心理の悪循環について丁寧に解説し、どのように対応すべきかを導き出してくれる一冊です。
初心者トレーダーや中級者トレーダーで成績が伸び悩んでいる方はもしかすると心理に問題があるかもしれません。
相場参加者の多くが利益を上げることをできずに資産を減らしてしまうなかでも勝ち続けている参加者の心理とはどのようなものなのでしょうか?
相場で負けてしまう理由
相場で負けてしまう理由の一つに本書で紹介されているように無意識のうちに「常識」に足を引っ張られている方は少なくないと思います。
基本的に人間は、子供の頃から「間違ってはいけない」と育てられるのが通常です。その「間違ってはいけない」という常識がマーケットにおける損切りを遅らせてしまうという要因の一つになります。
「相場では間違ってもよいのです。」
本書を読む負けることは勝つためのプロセスの一環ということが理解できるようになり、損切りを躊躇し、1回の負けで口座資産の多くを失ってしまうというリスクを減らすことができるようになります。
相場初心者が資産を大きく減らしてしまう代表的なパターンの一つに「損切りができず、1回の負けで資産を減らしてしまう」というものがあります。
なぜ損切りができないのか?
損失を確定するのが嫌だからという単純な理由もあると思いますが、無意識のうちに自分が間違ったことを認めたくないという面があると思います。
客観的な視点で相場を見る
皆さんは次のように感じたことはないでしょうか?
・ポジションを持っていない場合に限って相場が思った通りの方向へ進む
・いろいろ分析したが、一番最初に感じた相場感が一番正しかった
たまたまかもしれませんが、原因として考えられるものに相場と対峙していると様々な情報、感情が入り込み、相場が歪んで見えてしまうということが挙げられます。
欲望が冷静な判断を邪魔してしまっているのです。
成功するトレーダーになるためには
成功するトレーダーになるためには欲望、恐怖心を捨て常に平常心で客観的に相場と対峙することが必要となります。
その状態までたどり着くには、次の7つのステップが必要です。
ステップ1:自分のすべきことに意識を集中する
ステップ2:損失への対処法
ステップ3:ひとつのパターンのエキスパートになる
ステップ4:トレーディングシステムを使いこなす
ステップ5:確率的な考え方を学ぶ
ステップ6:客観的な見方を学ぶ
ステップ7:自分を監視する方法を学ぶ
本ホームページに掲載されている事項は、投資判断の参考となる情報の提供を目的としたものであり、投資の勧誘を目的としたものではありません。投資方針、投資タイミング等は、ご自身の責任において判断してください。本サービスの情報に基づいて行った取引のいかなる損失についても、当社は一切の責を負いかねますのでご了承ください。また、当社は、当該情報の正確性および完全性を保証または約束するものでなく、今後、予告なしに内容を変更または廃止する場合があります。なお、当該情報の欠落・誤謬等につきましてもその責を負いかねますのでご了承ください。
規律とトレーダー
相場心理分析入門
□目次
はじめに
まえがき
謝辞
第1部 序文
第1章 なぜ本書を執筆したのか
第2章 なぜ新しい考え方が必要なのか
第2部 心の視点から見た相場の世界の特徴
第3章 マーケットはいつも正しい
第4章 利益と損失の無限大の可能性
第5章 相場は初めも終わりもなく動き続ける
第6章 マーケットとは形のない世界
第7章 相場の世界に理由は要らない
第8章 成功するトレーダーになるための三つのステップ
第3部 自分を理解するための心のあり方
第9章 心の世界を理解する
第10章 記憶・信念・連想はどのように外部世界の情報をコントロールするのか
第11章 なぜ外部の世界に適応する方法を学ばなければならないのか
第12章 目標達成のダイナミズム
第13章 心のエネルギーをマネジメントする
第14章 信念を変えるテクニック
第4部 規律あるトレーダーになるには
第15章 値動きの心理
第16章 成功に至る道
第17章 最後に
訳者あとがき
■はじめに
証券界ではユニークな立場にある私は、一九七九年から何千人ものトレーダーや証券ブローカー、トレーディングアドバイザーなどと話をするチャンスに恵まれた。私は証券ブローカーやレターのライターでもなく、株式や先物トレーダーにテクニカル分析情報を提供するコンピュトラック・ソフトウエアという会社のCEO(最高経営責任者)である。私は自分の立場を中立だと考えているので、人々は気兼ねなく私に自分の胸の内を明かしてくれるのであろう。私は一九六〇年に自己資金でトレードを始めたが、成功するトレードとマネーマネジメントを根本的に妨げている心理的な障害にすぐに気づいた。それは私に相談を持ちかけてくる人々の話でも裏付けられた。
その結果、ファンダメンタルズ分析またはテクニカル分析のどちらを使おうとも、トレードの成否を決めるのは心理的な要因が八〇%、トレード手法はわずか二〇%しか影響していないと心から思うようになった。例えば、もしもあなたがファンダメンタルズ分析やテクニカル分析の月並みの知識しかなくても、自分の心をコントロールできるならば、利益を上げられるだろう。
その反対にバックテストでは長期にわたって素晴らしいパフォーマンスを上げるトレーディングシステムを持っていても、自分の心をコントロールできなければ、大きな損失に泣くだろう。優れたトレーダーは自らの経験から、長期的には勝ちトレードよりも負けトレードのほうが多いことを知っている。しかし、マネーマネジメントと適切なストップ(損失の拡大を防ぐ逆指値注文)によるリスク回避策をうまく使えば、損失を小さく抑えながら上げ相場では大きな利益を上げられるだろう。ここで言うマネーマネジメントとは、基本的には心とリスクのマネジメントを指す。
私は特に新規参入しようとするトレーダーに対して、相場に臨む自分のモチベーションを慎重に分析しなさいと忠告する。それをしないでアクティブにトレードすれば、マーケットの重圧という厳しい現実に直面するだろう。ゆっくりとトレードを始め、すべてのトレード結果を振り返りなさい。相場に対する自分のモチベーションとは何か、トレードをどのようにマネジメントするのか、トレードがうまくいったときはその勝因は何か、逆に損失になったときはなぜ失敗したのかを自問しなさい。そして次のトレードに臨む前に、これまでのトレード結果を分析し、それに関する自分のコメントを記録しておきなさい。
私のコンピュトラック社が主催するすべての主要なセミナーでは、トレードの心理的な側面に出席者の目を向けるように話をしてくださいと講師たちにお願いしている。あなたの資金や利益を奪い去ってしまう死神とは、けっして神出鬼没の「彼ら」ではなく、単に意味を取り違えている「自分」なのである。ギリシャ神話に出てくるあのメデイアが自分の子供たちを殺すときに言ったように、「自分のしようとしている罪悪は分かっているが、私の不合理な自我が決意に打ち勝ってしまう」のである。もしもトレードをするときにこうした心理状態になるならば、ぜひとも本書を精読してください。
私は本書をとても楽しく読ませてもらった。自分のトレード授業料があまりにも高くついたからである。ページをめくるたびに、まさに自分のことを言っていると思って読み進んだものだ。マークは本当に読者に向かって、論理的ながら優しく話しかけているように本書を書いてくれた。この本を読んでいると、彼が私のかたわらで友だちのように説明しているような錯覚に陥る。それほどまでに楽しいのである。重大なトレードミスを犯す前に本書を読まれる皆さんはラッキーである。どうか自分自身を知り、トレーディングスキルを磨いてください。時間をかけて自分で考えながら実践に臨むトレーダーは、必ずや相場の世界で生き残り、大きな成功を収めるだろう。
ティモシー・スレーター・コンピュトラック・ソフトウエア社社長
■まえがき
本書は株式または先物トレーダーとして成功したい人々のために書かれた、自己規律と自己変革に向けた心のあり方に関する包括的なガイドブックである。つまり、相場の世界という非日常的な心のあり方が求められる世界にうまく適応できるように、一歩ずつ慣れていくためのガイドである。私が「適応する」と言うのは、相場の世界に飛び込んでくる多くの人々が、この世界は彼らが育ってきた一般社会とはまったく異なることを理解していないからである。こうした現実を理解しないかぎり、これまでの生活では有効に機能してきた多くの考え方が相場の世界では逆に心のバリアとなり、トレーダーとして成功することを難しくしている。トレーダーとして自分が望むように成功するには、マーケットの動きを認識する方法を(完全にとまではいかなくても)少なくともある程度は変えなければならない。
一般社会とはまったく異なるこの相場の世界で成功するためには、トレーダーの強い自制心と自己信頼が求められる。しかし、われわれは子供のときに自分よりも力のある人によって行動を抑えられてきた、いわゆる組織化された環境のなかで育ってきたので(その目的は社会の期待に添うように個人の行動をコントロールすることにある)、こうした自制心は持ち合わせていない。われわれは外部の力によって、いわば賞罰システムの下で行動するように強いられてきた。賞とは一定条件を満たしているかぎり自由に自分を表現できること、罰とは自分の欲しいものを自由に得ようとすれば、さまざまな形の精神的および肉体的な制裁を受けることである。その結果、われわれは自分よりも力がある人や物から、精神的または肉体的な苦痛を受けるのではないかという恐怖心を持つようになった。われわれはほかの人間に対して力を振ることはできないので、その当然の結果として一般社会で成功するための伝統的な方法(欲しいものを得るための特別な方法)を育んできた。すなわち、外部の世界を力ずくで変えたり操作する力を持つことが、欲しいものを得るための唯一の方法であるという考えである。
トレーダーが学ぶべきことのひとつは、一般社会で欲しいものを手に入れるときの考え方は、相場の世界ではまったく通用しないということである。マーケットを操作できる(相場を自分の望む方向に持っていく)力は、一握りの人々を除いてだれも持っていない。一般社会で個人の行動をコントロールするような外部の制約などは相場の世界には存在しない。換言すれば、マーケットにはあなたに力を振るったり、行動をコントロールしたり、何らかの期待感を抱かせたり、あなたを幸せにしてやろうなどといった心遣いなどはまったくない。
このようにわれわれはマーケットをコントロールしたりまたは操作することができず、マーケットもわれわれに対してそうした力がないとすれば、われわれが考え、それに基づいて行動したことの責任はすべてわれわれ自身にある。自分をコントロールできる唯一のものは自分自身である。あなたはトレーダーとして自分でお金を得ることも、ほかのトレーダーに自分のお金をあげることもできる。そのどちらを選ぶのかは、マーケットとはほとんどあるいはまったく関係のない心のあり方によって決まる。したがって、これまでとはまったく異なる新しいスキルを修得したり、相場の世界に自分を適応させる方法を学ばなければならない。
相場で成功するには、これまでとはまったく違う方法で自分をコントロールする必要がある。また自分の欲しいものをどうしたら手に入れられるのかといった期待感とは関係なく、相場の世界で自分の欲しいものを手に入れるには自由な心の視点を持たなければならない。自分の行動の責任はすべて自分にあるということを知っているトレーダーは少数である。そうした認識の心理的な意味を理解し、それに対してどのように対処すべきかを知っているトレーダーはさらに少ない。
われわれは外部から自分を制限するものが何もなく、自分を自由に創造的に表現できる世界があることなどはまったく知らずに成長してきた。相場の世界では自分で自分のルールを決め、それを順守する規律を養わなければならない。しかし、問題はこの世界にはとどまることのない値動きがあり、われわれが慣れ親しんできた強固に構築されたものなど何もないことである。したがって、この世界で下す意思決定にもとどまることのない値動きと同じように終わりはない。トレードを休んでもよいし、いつ仕掛けてどのくらい保有するのか、どのようなときに手仕舞うのかなどはまったく自由である。初めも中間も終わりもなく、あるものはただ心で創造するものだけである。
マーケットの意思決定に伴うこのようなしんどい心理的な重しに加えて、たとえ先物でわずか一枚だけを建てたときでも、利益と損失の可能性は無限大であるという現実がある。これを心理的な観点から見ると、各トレードには相場で経済的に独立できるという大きな夢を実現できる可能性もあるし、すべての資金を失うというリスクも存在する。常に変化して止まないこの世界では、リスクに目をつぶったり、今回だけは自分のルールに従うのはやめようと自分に言い聞かせることも簡単である。まさに完全な表現の自由と無限大の損益の可能性が共存する世界である。こうした心理的な状況をまったく知らずにこの世界に足を踏み入れるならば(すなわち、外部からのコントロールや制約、期待などが存在する一般社会と同じ心のあり方で相場に臨むならば)、そこで待ち受けているのは精神的な苦痛と経済的な破綻だけである。
なぜ利益を上げ続けるトレーダーが少ないか、これでお分かりであろう。実際にほとんどのトレーダーはこうした相場の難しさを過小評価し、その反対に期待感だけは大きく膨らませている。その結果、彼らの多くは自分自身に心理的なダメージを与えている。ここで言う「心理的なダメージ」とは、恐怖心を引き起こす心のあり方である。恐怖心とはストレス、不安、混乱、失望、裏切りなど、肉体的または精神的苦痛を引き起こす外部の世界に対する信念から生じる。精神的な苦痛とは主に期待が満たされないときに起きる。満たされない期待はこうあるべきだと思うその人の信念と、そうした信念に添わない実際の外部世界との間で対立を引き起こす。こうした対立がストレス、不安、混乱などの精神的な苦痛をもたらす。
人々はこうした対立を引き起こす外部の世界の情報に対して、心の防衛策を築くことで本能的にそうした苦痛を避けようとする。それらは外部情報の拒否、合理的な解釈、正当化などであり、いずれも外部からの情報を知覚的に歪曲化することである。「知覚的な歪曲化(perceptual distortion)」というのは、われわれが期待するものと外部の世界が実際に提供するものとの対立を回避するために特定の情報を排除する、すなわち心のシステムが自動的に外部世界の情報を歪めることである。このように、われわれは嫌な情報を排除することによって、自分と外部世界との間で共有された現実を作ろうとする。「共有された現実(shared reality)」とは、外部の世界に対する自分の信念と実際の外部世界が一致するような状況と定義されるだろう。
しかし、マーケットからの情報を歪曲化するならば、マーケットの現実を認識することはできず、それによる失望感から何らかの幻想を抱くことになるだろう。その結果として直面するのは、「強制的な自覚(forced awareness)」とも呼ばれるものである。マーケットが自分の望むような情報を提供してくれなくても(一般にマーケット情報の多くは自分の期待に添わないものである)、それに対する何らかの対応は求められる。したがって、これまでに形成された自分の思考法とマーケット情報の不一致が続くかぎり、マーケット情報の歪曲化(心の防衛策=幻想を抱くことによって嫌な情報を回避すること)が行われることになる。
こうした状況の下でマーケットはそのうちに共有された現実という幻想を打ち砕くことによって、苦痛を伴う強制的な自覚をわれわれに強いる。共通する社会生活を送ってきたわれわれはすべて投資歴のある段階で、自分の望むような将来を心に描き、そうした期待にしがみつくようなやり方でマーケットをコントロールしようとしてきた自分に気づく。こうした強制的な自覚を強いられないためには、ほかの可能性や選択肢にも目が向くように、柔軟な心の視点を養うべきである。われわれはマーケットをコントロールすることはできないが、マーケットに対する心の視点を変えることによって客観的に見ようとすることは可能であり、そうすればマーケットと共有する現実も増えていくだろう。
われわれは強制的な自覚がいかに苦しいものであっても、それによってマーケットが提供するチャンスを放棄することはないだろうが、その累積する心理的な悪影響は極めて大きいものとなる。もしも強制的な自覚というものを何回も経験するならば、マーケットの行動に対するわれわれの見方は、次第に利益の追求から苦痛の回避へとシフトしていくだろう。資金の喪失、トレードミスまたはチャンスの取り逃がしなどに対する恐怖心が、われわれの決断や行動に重くのしかかる。それによる悪影響は次のようなものである。まず最初は、恐怖を引き起こすような対象だけに目が向いて利益のチャンスを大きく減らしてしまう。つまり、マーケットが提供する多くの情報のなかでも、自分が最も恐れているような情報だけに目が向いてしまうということである。いわばマーケットが提供する利益のチャンス、ほかの選択肢に関する情報などを自分で意図的に排除していることになる。こうした恐怖心とそれによるマイナスの影響が分かれば、損失を回避しようとする気持ちが実際には損失そのものを招いているという現実に気づくだろう。また、恐怖心はある状況に対するわれわれの反応を大きく制限する。多くのトレーダーは自分の望むものを正確に知ったときに大きく苦しむものだが、実際にそのようなチャンスが到来してもまったく行動できないこともよくある。
形のない相場の世界で成功するには、参入する前に自信と自己信頼を確立しなければならない。それは恐怖心がなく、そのときどきに何をすべきかが分かり、それを躊躇なく実行できる心の状態である。迷いは自己不信と恐怖心を引き起こし、それに見合った不安や混乱も生じる。恐怖と不安、混乱に満ちたマイナスの心を持ってトレードすれば、それまでの不満や無力感にはさらに拍車がかかるだろう。われわれは自分の心の状態を他人の目から隠すことはできるが、自分の目を欺くことはできない。もしもマーケットの行動が不可解に映るならば、それは自分自身の行動が不可解で手に負えなくなっている証拠である。何を望み、何を心で見ていようとも、自分が次に何をすべきかが分からなければ、次にマーケットがどうなるのかを予想できるはずがない。
こうした心の障害を乗り越えて成功した数少ないトレーダーは、「損切りは素早く」「流れに乗れ」「トレンドは友である」「損失をカットして利益を伸ばせ」「マーケットを知る前に自分自身を知れ」などの相場の知恵をよく口にする。本書はこうした相場に臨むトレーダーの心の問題を分析し、その克服策を一歩ずつ学べるようにまとめたものである(すなわち、相場の世界で成功するために必要な条件をステップを追って説明していく)。本書ではそのために必要なスキルとその理由、そして特に重要なそうしたスキルの修得法についても詳述した。
本書は4部で構成されている。第1部は序文と第1章~第2章、第2部は成功するトレーダーになるための条件や問題点を論じた第3章~第8章である。第3部(第9章~第14章)では心の視点を変えなければならない理由とその方法について検討し、続く第4部(第15章~第16章)では具体的なトレーディングスキルの修得法について総合的に考察した。本書を読めば客観的な観点からマーケットの行動を観察する方法、自分の心をコントロールする方法、正しい視点で相場に臨むための心のあり方などが理解できるだろう。
■第1章 なぜ本書を執筆したのか
一九八二年に本書を執筆し始めてから、先物取引のほぼあらゆる面で大きな進展が見られた。新しい取引所・商品・ニュースサービス、多様な専門書や刊行物、(コンピューターによってリアルタイムにマーケットをフォローする)高度なテクニカル取引システムなどが出現した。しかし、こうしたトレーディングサービスの大きな発展にもかかわらず、ほとんど変わっていないひとつの事実がある。それはマーケットから大きな利益を得るのは数少ない一部の高度なトレーダーだけであり、残りの九〇%以上のトレーダーは毎年損失を出していることである。
先物取引ではあるトレーダーが一ドルの利益を上げれば、別のトレーダーはそれと同じ金額の損失を出している。一部のトレーダーが一貫して大きな利益を上げ続ける裏では、ほかの多くのトレーダーが少数の勝ち組トレーダーに利益を与えている。言うまでもなく、すべての負け組トレーダーはそうした成功しているトレーダーのやり方やトレード手法を知りたいと思っている。これら少数の勝ち組と大多数の負け組トレーダーの間には大きな違いがある。それは一貫して利益を上げている勝ち組トレーダーは、心の規律というものをトレードの中心に据えて相場に臨んでいることである。彼らに成功の秘訣を尋ねると、その口からは一様に利益が累積し始めたのは自己規律、心のコントロール、相場の流れに乗るように心を切り替えることを学んだ結果という答えが返ってくる。
まず第一に、こうしたことはすべてマーケットのニュースやその他のサービス、新しい取引所、コンピューターによるテクニカル分析またはファンダメンタルズ分析などとは関係のない心理的な問題である。二番目には私自身のトレード経験をはじめ、ほかのトレーダーの間接的な経験を観察した結果、(勝ち組と負け組を含む)すべてのトレーダーは何らかの共通な経験を持っていることが分かった。それはトレードを始めた直後、またはトレードを始めてしばらくたったころに、混乱、欲求不満、不安、失敗の苦しみなどを経験していることである。こうした苦い経験を克服して利益を累積させた数少ないトレーダーとは、非常に難しい心の問題に直面しながらもそれを乗り越えた人であり、最も優れたトレーダーでさえもそうした自己規律と自己変革を成し遂げるには数年を要している。
トレードで成功するカギがそうした自己規律と心のコントロールにあるとしても、われわれは生まれながらにしてそうした習性を持ち合わせているわけではなく、いわば心のスキルをレベルアップして修得していくものである。一般にそのプロセスは試行錯誤の連続であり、経済的負担もけっして小さいものではなく、精神的な苦痛や苦しみにも満ちている。そのときの最大の問題は、多くの人々がこの試練を乗り越えるまでにすべての資金を失ってしまうことである。ラッキーにもそうはならなかったトレーダーでさえも、一貫して利益を上げる方法を修得するプロセスで受けた心のトラウマから今でも完全に回復できないケースもある。こうした苦しいプロセスを克服できるのはごく少数のトレーダーだけである。
過去と現在を通して優れたトレーダーであっても、自分のしていることとそのトレード手法、一貫して利益を出すまでに要した期間などをほかの人に説明するのはかなり難しい。多くのトレーダーはマーケットやその行動について共通した知識を持っているが、それぞれのトレーダーの行動にはまったく共通性がない。優れたトレーダーはその知恵を知りたいと思う一般トレーダーに対して、いわゆる自己規律と心のコントロールを学ばないかぎり、マーケットの知識はあまり役に立たないと語るが、それを具体的に説明することはできない。
例えば、「損切りは小さく」という有名な投資アドバイスがあるが、その具体的な方法をほかの人に説明することは難しい。変化して止まないマーケットではいつでも損失を取り戻すチャンスがあるのに、含み損が出たからといって直ちに損切りしなさいと言えるだろうか。そうしたトレーダーの資金と自尊心は危うくなってはいるが、価格が買値まで戻るチャンスが残されているときに(しかし、通常ではそうした可能性はあまりない)、なぜ損切りしなければならないのかを説明するのは難しい。そしてそのトレーダー特有の心理的な気質に見合った方法で損切りの必要性を説明するのはさらに困難である。
その結果、こうした投資アドバイスをほかの人にするときは、「そうですね、もしもあなたがトレーダーとして成功したいのであれば、自己規律と心のコントロールを学ぶことですね」といった程度の説明になってしまうのである。こうした曖昧なアドバイスになってしまうのは、主に次の二つの理由からである。まず第一に、自己規律や心のコントロールという言葉は抽象的な概念であり、簡単に説明したり理解できないこと。こうした言葉はよく聞くが、友人などにその意味を定義してくれと頼んでも嫌な顔をされるだけだろう。
二番目の理由は、成功しているトレーダーは地図や道しるべ、ガイドなど何もない状態で投資の旅を始め、ようやく自分の目的地を正確に知ることができるようになった(利益を累積できるようになった)ことである。彼らは大変な時間と労力をかけ、自己反省と試行錯誤を通して相場の世界をさまよい、度重なるトレードミスに泣いたり、経済的・精神的にも大きな苦しみを経験してきた。そうしたプロセスのある時点で、おそらく彼らは自分のなかで何かが変化したことに気づいたはずである。すなわち、それまで心理的に大きなマイナスのインパクト(怒り、ストレス、不安、恐怖など)を及ぼしてきたいつものマーケットの行動が、もはや同じ悪影響を及ぼさなくなったのである。この時点で彼らは自分にある程度の自信を持てるようになった、つまりマーケットの動きに適切に対応できるようになったに違いない。というのは、自信の程度とそうしたマイナスの感情との間には反比例の関係があるからである。自信と恐怖は(程度の差はあるが)いずれも同じ心の状態である。自信がつくにしたがって、それと反比例して心の混乱や不安、恐怖は軽減する。自分を信頼して必要なことが迷わずできるようになると、自然と自信もついてくる。自己信頼が高まれば、マーケットの予想できない不規則な行動も恐れることはなくなる。マーケットやトレーディングツールは何も変わっておらず、変わったのはトレーダーの心のあり方なのである。
トレーダーが個人的な成長という自己変革を成し遂げ、試行錯誤しながらも新しいトレーディングスキルを修得したとしても、とりわけその道のりが苦痛や不安、欲求不満などに満ちていれば、そのプロセスの一部始終を記録しておくことはないだろう。今のレベルのトレーディングスキルをどのようにして修得したのかを正確に覚えていなければ、それをほかの人に説明することはできない。また成功を成し遂げたトレーダーがその方法を知りたがっているほかの人々に、多くの時間とエネルギーを使ってそのプロセスを説明する気にはならないだろう。成功するトレーダーになる方法の教育プログラムを作成する能力と、成功するトレーダーにとって必要なスキルを修得する能力はまったく別物である。その違いは一方は選択できるものであり、もう一方は選択肢のない必須の条件、いわゆる強制的なものである。
私が「強制的」と言ったのは、相場の世界で生き残りをかけて正しい心のあり方を学ぶために、私は自宅、車、ほとんどの所有物を失わなければならなかったからである。すべての財産を失うということは人生が一変する経験であり、それは恐怖心がトレードに及ぼす影響を身をもって学んだ経験だった。こうした経験を通して学んだことは、いわば「強制的な自覚」ともいうべきものである。私が身を置いた相場の世界とは、自分の無知が失敗を招くと考えていた世界とはまったく違うものだった。私は一部のマーケット情報を入れないように心の防衛策を築いていたが、最後にはマーケットによって強制的に自分自身のことを知らされた。すなわち、自分のアイデンティティーの多くを占めていた外部要素はすべて取り払われ、私はまったく異なった視点から自分を見つめ直さなければならなかった。
それは一九八二年三月のことだった。その当時、私はCBOT(シカゴ商品取引所)のメリルリンチ・コモディティーズのAE(アカウントエグゼクティブ)をしていた。私は九カ月前の一九八一年六月に、少なくとも経済的には商業用損害保険業で大きな成功を収めていたデトロイト郊外の居住地から当地(シカゴ)に引っ越してきたばかりだった。その目的はトレーダーとして成功することだった。私はCBOTやCME(シカゴ・マーカンタイル取引所)の会員権を取得するだけのお金がなく、また会員権をリースできることも知らなかったので、メリルリンチで働くことにした。
私はゴールドコースト(シカゴの高級住宅地)の高価なアパートに住み、ポルシェに乗っていた。ガールフレンドとその二人の娘が住むデトロイト郊外の高価な住居も所有し、彼女らと会うためにほぼ毎週のようにこの二つの都市を往復した。自分の生活費と彼女らの扶養費は給与水準をはるかに超えていたので、トレーダーとして何としても成功しなければならないという大きな経済的なプレッシャーを感じていた。トレーダーとして大きな成功を収めないと、これまでの重大な決定と努力は水泡に帰してしまう。
シカゴに来るまでに、私には実は二年以上にわたるトレードの経験があった。二回のトレードでほぼすべての資金を失ったが、もちろんその後に貯蓄に励んでトレードを再開していた。トレードでの成功期間は短く、また勝ちトレードは少なかったが、それでもトレードをやめようとは思わなかった。一回のトレードで二五万ドル以上を儲けるチャンスもあったが、その大きな波に乗る前にポジションを手仕舞ってしまった。これには本当にがっかりしたが、それでもトレードへの情熱を燃やし続け、以前にも増してトレーダーして成功しようという決意を新たにした。その経験を機に私は参考になるような書籍はすべて購入し、またできる限り多くの投資セミナーに参加しようと決心した。
私が読んだほぼすべての本には、もしもあなたが大きな経済的プレッシャーのなかにあるならば、トレードで成功することはかなり難しいと書いてあった。つまり、限られた資金しかなく、余裕資金でトレードしなければ、トレーダーとして成功することはできないということである。絶対に失うことのできない生活資金しか残されていない私は、この成功のルールのどちらにも違反していた。そのうえ、自分にはまったく勝算のないことを裏付けるその他の証拠が山ほどあった。
私がシカゴに来たのは、トレードで成功する方法を知っている人々からその秘訣を学びたいと思ったからである。私が勤めていたメリルリンチ・コモディティーズは全米第二位の大手商品取引会社で、三八人のAEがいた。当初私は自己資金によるトレード経験者のAEが一人しかいないことに大きなショックを受けた。そしてこれらAEのだれも自分の顧客に儲けさせていないことを知ってもう一度ショックを受けた。実際、彼らの多くの顧客は平均して四カ月もしないうちに当初の資金を失っていたのである。
次に大きなショックを受けたのは、フロアトレーダー(自己利益のためにトレードする取引所のメンバー)たちと友だちになり始めたころ、AEではトレードで儲けられないだろうが、フロアトレーダーであれば儲ける方法を知っているだろうと思ったが、そうでないことが分かったときである。彼らもメリルリンチのAEと同じ状況だった。多くの人々から一目置かれている一握りのフロアトレーダーを除いて、一貫して利益を上げているフロアトレーダーはひとりもいなかった。彼らも自分でトレードする前にまずは周りの人々のアドバイスを聞いて自分を納得させるなど、自分のしたいことを迷わずに実行している人はいなかった。彼らの多くは一日のある時点では利益を出しても、コンスタントに利益を上げ続けることができなかった。トレード開始から数時間で二〇〇〇~三〇〇〇ドルの利益を上げるトレーダーも少なくなかったが、その直後にきまってそれ以上のお金を持って行かれるのである。
ほとんどのトレーダーはだれも問題にはしないようなこうしたミスを頻繁に犯している。明らかにマーケットの性質からいって、こうしたミスを大きな問題としてとらえるのは難しい。次回のトレードは前回のトレードとは何の関係もないと思われるからである。次のトレードで大きな利益を出せる可能性があるならば、前回のトレード結果をくよくよと思い悩む必要などあるのだろうか。私を含むすべてのトレーダーは、こうした一発屋の考え方から抜け出すことができない。実際に私もこうした考え方の傾向が強かったので、多くのトレードで五〇〇~七五〇ドルの含み益が出ても、ほどほどの儲けかなと思いつつも利益を確定することがなかった。本当にバカげていると思われるが、その当時は自分が必要としたり、または期待する利益に比べて、マーケットはこんなしみったれた利益しかもたらしてくれず、俺をバカにしているのかと考えていたのである。
経済問題が深刻になるにつれて、私の焦りはさらに深まっていった。もはや自分の周りで起きていることを正常には見られなくなった。それでもトレードでこうした困難から脱出できるという信念を変えることはなかった。しかし、一九八二年三月にはすべてが終わった。トレードで経済的な独立を果たすという夢を抱いてシカゴに移ってきてわずか八カ月、私は仕事、アパート、衣服、テレビ、ベッドを除いてすべてを失った。ほぼ一晩で自分のアイデンティティーを形成していたすべての構成要素がなくなった。すなわち、自己イメージの多くを占めていた所有物(住居や車、そしてとりわけ信用)が吹き飛んでしまった。無傷の信用は私の大きな誇りだったが、今ではそれすらもなくなってしまった。既述したように、こうしたことが起こる証拠はたくさんあったが、それらと正面から向き合いたくないというもうひとりの自分がいた。自分の周りで起こるすべてのことにそれを正当化する口実を探していたのである。
相反するすべての外部情報と向き合い、その意味を考えることを拒否すれば、大きなストレスを引き起こす。状況をさらに悪化したのは、すべてを失うのではないかという大きな恐怖心だった。あらゆる手段を尽くしてそうした恐怖心を抑え、それを感じないように心の奥底に閉じ込めようとした。しかし、危機が差し迫っていることはうすうす感じていた。恐怖心で心はボロボロになっていたが、すべてのものを失うという心のアンバランスを立て直す手だてがないときに、どのようにこうした状況に直面するのだろうか。心のアンバランスとは、自分自身に対する信念と実際の状況の不一致である。そうした信念がすべて崩れてしまった自分とは一体何なのか。それに気づくにはそれほど時間はかからなかった。経済危機が破局寸前にまで来たとき、心の防衛策も崩れ始めた。最後には破局という現実を受け入れざるを得なくなり、私は関係当局に自己破産を申請した。
こうした経験を通じて、私の内部では多くのものが変化した。人生でこうした深刻な事態に直面した人の例に漏れず、私も自分自身について多くのことを知った。本当に驚いたのは、それまでのストレスがなくなったことである。期待したり恐れたり、または必死になって守ろうとするものがなくなったとき、人間は大きな安堵感を感じる。大きな恐怖心を抱いて生活してきたが、実際にはそうした状況は存在していなかったことが分かった。現実は自分が考えていたほど悪いものではなかった。まだ生きているし、健康だし、考えたり行動することもできる。そして考える能力は自分の最大の財産だと認識するようになった。
次第に人間のアイデンティティーを形成する基本的な要素とは何かという、より深い次元の問題について考えるようになった。私はこれまで人間のアイデンティティーとはその人の所有物で形成されていると考えていた。所有物が多いほど、その人のアイデンティティーは大きいと信じていた。しかし、人間とはそうした所有物の総体以上の存在ではないかと考えるようになった。外見の物を次々とそぎ落としていくと、次第にこうした深い次元の自分が見えてくるようになった。こうした新しい自覚が生まれてくると、ミスを犯したり何かを失っても、それによって人間としての自分の価値が損なわれることはないと思えるようになった。ミスを犯す自分を許す余裕が生まれ、そうした苦い経験から何か有益で積極的なものが学べるならば、それは失敗ではないのではないかと思い始めた。
しかし、こうした私の個人的な経験はひとつの点でほかの人々の失敗経験と異なっていたので、ほかの人と自分の状況と比較するようなことはしなかった。すべての財産を失った数多くのトレーダーも私と同じように自分自身を知ることができても、経済的な理由からトレーダーとして再起できる可能性は低かった。私も自分のお金でトレードを再開することはできなかったが、まだメリルリンチの仕事は失っていなかった。この仕事は自分の個人的な経済事情の影響はまったく受けておらず、自分が自己破産したことを顧客や会社の同僚などには話さなかった。AEの仕事は私に残された数少ない財産のひとつであり、自分のやり方次第ではこれからもトレーダーとして生き残れる可能性は残されていた。
こうした状況が私と破産したほかのトレーダーとの根本的な違いであり、のちに本書を執筆しようという動機になった。トレードを続けられる自分は本当にラッキーだった(もちろん、自分のお金ではないが)。このように心理的に大きな自己変革を遂げた私は、内なる心の世界が外部の世界で自分が経験することに大きな影響を及ぼすことを多角的に分析できるというユニークな立場に立つことができた。心の世界と外部の世界のこうした相関関係は必ずしもはっきりしたものではないが、私の置かれた状況下では明らかに緊密な関係が存在する。マーケットはトレーダーに対していつでも利益のチャンスを与えているが、そうしたチャンスは基本的には常に変動しているマーケットにある。そしてマーケットとはわれわれが一般社会に存在するいろいろな制約に妨げられないで、自由に自分の望む結果を出せる世界である。こうした無限のチャンスを提供しているマーケットとは、トレーダーの心のあり方を一〇〇%反映したものである。マーケットはトレーダーが値動きのなかに何を見るのか、それについてどのような行動をするのかについて口を出すようなことはない。どのような情報に目を向けるのかという選択肢と行動力はすべてトレーダーの心のなかにある。もしも私がマーケットを恐怖心を持って眺め、私の懐からお金を奪うものと考えたとしても、実際に私をおびえさせているのはマーケットという外部の世界ではない。マーケットに対する私の恐怖心とは、自分の利益に最も適うような方法で値動きを予想したり、行動したりすることのできない自分の能力のなさを反映している。
私は何としても損失を回避しようと心に決め、死に物狂いで努力してきたが、実際にはそうした心のあり方そのものが損失を生み出していることが分かった。私たちはだれも外部の世界で起こっているすべてのことを認識する心のシステムは持ち合わせておらず、自分が目を向けるのは自分にとって最も重要な情報だけである。心の優先順位に従って一部の情報だけに注意を振り向ければ、必然的にその他の情報は認識の範囲から除外することになる。これをトレードに当てはめると、損失を回避しようとすればするほど、それとは逆の結果を引き起こすことになる。
私は利益のチャンスを提供しているマーケットの情報ではなく、自分が最も恐れていたものを引き寄せるような情報に目を向けていた。その結果、ほかの可能性やチャンスを提供している多くのマーケット情報がまったく見えず、私を素通りしていった。そうしたチャンスをとらえる唯一の方法は、今マーケットで起きていることから自分の注意をそらす要因を取り除くことである。損失やトレードミスに対する自分の信念が変化して初めて、私はチャンスを取り逃すことの本当の意味が分かった。つまり、心の視点が変わって初めて、今までまったく気づかなかったマーケットの行動やその性質が見えるようになった。
私はすべてを失っていたので、もはや恐れるものは何もなかった。その結果、偶然にも成功するトレーダーになるための最も重要な条件のひとつ、すなわちマイナスの心(罪悪感、怒り、恥、自虐心など)を持たないで損失を「受け入れる」方法を学んだ。損失に対する恐怖心がなくなり、いわば生まれ変わった私はこれまでとは違う視点でマーケットを見たり、その行動を経験できるようになった。それはあたかも、今まで気づかなかった目隠しをだれかが外してくれたような気分だった。それまでの私はいつも恐怖心でいっぱいであり、恐怖心のないトレードなどは考えられなかった。
私のこうした恐怖心が、トレードとマネーマネジメントに関する大切なルールの順守を妨げていた。こうしたルールを順守すればするほど、自分をますます信頼できるようになった。そして自己信頼が高まるほどマーケットの行動が読めるようになり、マーケットに関する新しい知識が増えていった。マーケットに対するこうした新しい心のあり方は、相場の流れに乗るというスキルにプラスの影響を及ぼすようになった。ミスを恐れなくなるとポジションを変えることもそれほど難しくなくなり、また早めの損切りもできるようになり、次のチャンスを待つ心のゆとりもできてきた。
一九八二年六月までに、私は自分を信頼してくれた顧客のために一貫して利益を上げられるようになった。多くのトレーダーの基準から見るとそれほど大きな金額ではないが、それでもコンスタントに利益を上げられるようになった。同年八月に私は自分が身をもって経験したことを多くのトレーダーに伝えようと本を執筆、あるいは少なくともセミナーは開催しようと思った。しかし、こうした分野の資料はほとんどなかった。トレードで成功するのはなぜ難しいのかということを効果的に理解させるような教材、特にトレードに臨む心のあり方について深いレベルで論じた資料は皆無に等しかった。私は、自分の信じることはトレーダーとして利益を累積するための絶対条件であると思っている。それに必要な心のスキルを修得するために、一歩ずつ体系的にその方法を学べるように本書を執筆した。しかし、このアプローチを効果的に進めるには、その前にまず新しい考え方を学ばなければならない。
はじめに
まえがき
謝辞
第1部 序文
第1章 なぜ本書を執筆したのか
第2章 なぜ新しい考え方が必要なのか
第2部 心の視点から見た相場の世界の特徴
第3章 マーケットはいつも正しい
第4章 利益と損失の無限大の可能性
第5章 相場は初めも終わりもなく動き続ける
第6章 マーケットとは形のない世界
第7章 相場の世界に理由は要らない
第8章 成功するトレーダーになるための三つのステップ
第3部 自分を理解するための心のあり方
第9章 心の世界を理解する
第10章 記憶・信念・連想はどのように外部世界の情報をコントロールするのか
第11章 なぜ外部の世界に適応する方法を学ばなければならないのか
第12章 目標達成のダイナミズム
第13章 心のエネルギーをマネジメントする
第14章 信念を変えるテクニック
第4部 規律あるトレーダーになるには
第15章 値動きの心理
第16章 成功に至る道
第17章 最後に
訳者あとがき
■はじめに
証券界ではユニークな立場にある私は、一九七九年から何千人ものトレーダーや証券ブローカー、トレーディングアドバイザーなどと話をするチャンスに恵まれた。私は証券ブローカーやレターのライターでもなく、株式や先物トレーダーにテクニカル分析情報を提供するコンピュトラック・ソフトウエアという会社のCEO(最高経営責任者)である。私は自分の立場を中立だと考えているので、人々は気兼ねなく私に自分の胸の内を明かしてくれるのであろう。私は一九六〇年に自己資金でトレードを始めたが、成功するトレードとマネーマネジメントを根本的に妨げている心理的な障害にすぐに気づいた。それは私に相談を持ちかけてくる人々の話でも裏付けられた。
その結果、ファンダメンタルズ分析またはテクニカル分析のどちらを使おうとも、トレードの成否を決めるのは心理的な要因が八〇%、トレード手法はわずか二〇%しか影響していないと心から思うようになった。例えば、もしもあなたがファンダメンタルズ分析やテクニカル分析の月並みの知識しかなくても、自分の心をコントロールできるならば、利益を上げられるだろう。
その反対にバックテストでは長期にわたって素晴らしいパフォーマンスを上げるトレーディングシステムを持っていても、自分の心をコントロールできなければ、大きな損失に泣くだろう。優れたトレーダーは自らの経験から、長期的には勝ちトレードよりも負けトレードのほうが多いことを知っている。しかし、マネーマネジメントと適切なストップ(損失の拡大を防ぐ逆指値注文)によるリスク回避策をうまく使えば、損失を小さく抑えながら上げ相場では大きな利益を上げられるだろう。ここで言うマネーマネジメントとは、基本的には心とリスクのマネジメントを指す。
私は特に新規参入しようとするトレーダーに対して、相場に臨む自分のモチベーションを慎重に分析しなさいと忠告する。それをしないでアクティブにトレードすれば、マーケットの重圧という厳しい現実に直面するだろう。ゆっくりとトレードを始め、すべてのトレード結果を振り返りなさい。相場に対する自分のモチベーションとは何か、トレードをどのようにマネジメントするのか、トレードがうまくいったときはその勝因は何か、逆に損失になったときはなぜ失敗したのかを自問しなさい。そして次のトレードに臨む前に、これまでのトレード結果を分析し、それに関する自分のコメントを記録しておきなさい。
私のコンピュトラック社が主催するすべての主要なセミナーでは、トレードの心理的な側面に出席者の目を向けるように話をしてくださいと講師たちにお願いしている。あなたの資金や利益を奪い去ってしまう死神とは、けっして神出鬼没の「彼ら」ではなく、単に意味を取り違えている「自分」なのである。ギリシャ神話に出てくるあのメデイアが自分の子供たちを殺すときに言ったように、「自分のしようとしている罪悪は分かっているが、私の不合理な自我が決意に打ち勝ってしまう」のである。もしもトレードをするときにこうした心理状態になるならば、ぜひとも本書を精読してください。
私は本書をとても楽しく読ませてもらった。自分のトレード授業料があまりにも高くついたからである。ページをめくるたびに、まさに自分のことを言っていると思って読み進んだものだ。マークは本当に読者に向かって、論理的ながら優しく話しかけているように本書を書いてくれた。この本を読んでいると、彼が私のかたわらで友だちのように説明しているような錯覚に陥る。それほどまでに楽しいのである。重大なトレードミスを犯す前に本書を読まれる皆さんはラッキーである。どうか自分自身を知り、トレーディングスキルを磨いてください。時間をかけて自分で考えながら実践に臨むトレーダーは、必ずや相場の世界で生き残り、大きな成功を収めるだろう。
ティモシー・スレーター・コンピュトラック・ソフトウエア社社長
■まえがき
本書は株式または先物トレーダーとして成功したい人々のために書かれた、自己規律と自己変革に向けた心のあり方に関する包括的なガイドブックである。つまり、相場の世界という非日常的な心のあり方が求められる世界にうまく適応できるように、一歩ずつ慣れていくためのガイドである。私が「適応する」と言うのは、相場の世界に飛び込んでくる多くの人々が、この世界は彼らが育ってきた一般社会とはまったく異なることを理解していないからである。こうした現実を理解しないかぎり、これまでの生活では有効に機能してきた多くの考え方が相場の世界では逆に心のバリアとなり、トレーダーとして成功することを難しくしている。トレーダーとして自分が望むように成功するには、マーケットの動きを認識する方法を(完全にとまではいかなくても)少なくともある程度は変えなければならない。
一般社会とはまったく異なるこの相場の世界で成功するためには、トレーダーの強い自制心と自己信頼が求められる。しかし、われわれは子供のときに自分よりも力のある人によって行動を抑えられてきた、いわゆる組織化された環境のなかで育ってきたので(その目的は社会の期待に添うように個人の行動をコントロールすることにある)、こうした自制心は持ち合わせていない。われわれは外部の力によって、いわば賞罰システムの下で行動するように強いられてきた。賞とは一定条件を満たしているかぎり自由に自分を表現できること、罰とは自分の欲しいものを自由に得ようとすれば、さまざまな形の精神的および肉体的な制裁を受けることである。その結果、われわれは自分よりも力がある人や物から、精神的または肉体的な苦痛を受けるのではないかという恐怖心を持つようになった。われわれはほかの人間に対して力を振ることはできないので、その当然の結果として一般社会で成功するための伝統的な方法(欲しいものを得るための特別な方法)を育んできた。すなわち、外部の世界を力ずくで変えたり操作する力を持つことが、欲しいものを得るための唯一の方法であるという考えである。
トレーダーが学ぶべきことのひとつは、一般社会で欲しいものを手に入れるときの考え方は、相場の世界ではまったく通用しないということである。マーケットを操作できる(相場を自分の望む方向に持っていく)力は、一握りの人々を除いてだれも持っていない。一般社会で個人の行動をコントロールするような外部の制約などは相場の世界には存在しない。換言すれば、マーケットにはあなたに力を振るったり、行動をコントロールしたり、何らかの期待感を抱かせたり、あなたを幸せにしてやろうなどといった心遣いなどはまったくない。
このようにわれわれはマーケットをコントロールしたりまたは操作することができず、マーケットもわれわれに対してそうした力がないとすれば、われわれが考え、それに基づいて行動したことの責任はすべてわれわれ自身にある。自分をコントロールできる唯一のものは自分自身である。あなたはトレーダーとして自分でお金を得ることも、ほかのトレーダーに自分のお金をあげることもできる。そのどちらを選ぶのかは、マーケットとはほとんどあるいはまったく関係のない心のあり方によって決まる。したがって、これまでとはまったく異なる新しいスキルを修得したり、相場の世界に自分を適応させる方法を学ばなければならない。
相場で成功するには、これまでとはまったく違う方法で自分をコントロールする必要がある。また自分の欲しいものをどうしたら手に入れられるのかといった期待感とは関係なく、相場の世界で自分の欲しいものを手に入れるには自由な心の視点を持たなければならない。自分の行動の責任はすべて自分にあるということを知っているトレーダーは少数である。そうした認識の心理的な意味を理解し、それに対してどのように対処すべきかを知っているトレーダーはさらに少ない。
われわれは外部から自分を制限するものが何もなく、自分を自由に創造的に表現できる世界があることなどはまったく知らずに成長してきた。相場の世界では自分で自分のルールを決め、それを順守する規律を養わなければならない。しかし、問題はこの世界にはとどまることのない値動きがあり、われわれが慣れ親しんできた強固に構築されたものなど何もないことである。したがって、この世界で下す意思決定にもとどまることのない値動きと同じように終わりはない。トレードを休んでもよいし、いつ仕掛けてどのくらい保有するのか、どのようなときに手仕舞うのかなどはまったく自由である。初めも中間も終わりもなく、あるものはただ心で創造するものだけである。
マーケットの意思決定に伴うこのようなしんどい心理的な重しに加えて、たとえ先物でわずか一枚だけを建てたときでも、利益と損失の可能性は無限大であるという現実がある。これを心理的な観点から見ると、各トレードには相場で経済的に独立できるという大きな夢を実現できる可能性もあるし、すべての資金を失うというリスクも存在する。常に変化して止まないこの世界では、リスクに目をつぶったり、今回だけは自分のルールに従うのはやめようと自分に言い聞かせることも簡単である。まさに完全な表現の自由と無限大の損益の可能性が共存する世界である。こうした心理的な状況をまったく知らずにこの世界に足を踏み入れるならば(すなわち、外部からのコントロールや制約、期待などが存在する一般社会と同じ心のあり方で相場に臨むならば)、そこで待ち受けているのは精神的な苦痛と経済的な破綻だけである。
なぜ利益を上げ続けるトレーダーが少ないか、これでお分かりであろう。実際にほとんどのトレーダーはこうした相場の難しさを過小評価し、その反対に期待感だけは大きく膨らませている。その結果、彼らの多くは自分自身に心理的なダメージを与えている。ここで言う「心理的なダメージ」とは、恐怖心を引き起こす心のあり方である。恐怖心とはストレス、不安、混乱、失望、裏切りなど、肉体的または精神的苦痛を引き起こす外部の世界に対する信念から生じる。精神的な苦痛とは主に期待が満たされないときに起きる。満たされない期待はこうあるべきだと思うその人の信念と、そうした信念に添わない実際の外部世界との間で対立を引き起こす。こうした対立がストレス、不安、混乱などの精神的な苦痛をもたらす。
人々はこうした対立を引き起こす外部の世界の情報に対して、心の防衛策を築くことで本能的にそうした苦痛を避けようとする。それらは外部情報の拒否、合理的な解釈、正当化などであり、いずれも外部からの情報を知覚的に歪曲化することである。「知覚的な歪曲化(perceptual distortion)」というのは、われわれが期待するものと外部の世界が実際に提供するものとの対立を回避するために特定の情報を排除する、すなわち心のシステムが自動的に外部世界の情報を歪めることである。このように、われわれは嫌な情報を排除することによって、自分と外部世界との間で共有された現実を作ろうとする。「共有された現実(shared reality)」とは、外部の世界に対する自分の信念と実際の外部世界が一致するような状況と定義されるだろう。
しかし、マーケットからの情報を歪曲化するならば、マーケットの現実を認識することはできず、それによる失望感から何らかの幻想を抱くことになるだろう。その結果として直面するのは、「強制的な自覚(forced awareness)」とも呼ばれるものである。マーケットが自分の望むような情報を提供してくれなくても(一般にマーケット情報の多くは自分の期待に添わないものである)、それに対する何らかの対応は求められる。したがって、これまでに形成された自分の思考法とマーケット情報の不一致が続くかぎり、マーケット情報の歪曲化(心の防衛策=幻想を抱くことによって嫌な情報を回避すること)が行われることになる。
こうした状況の下でマーケットはそのうちに共有された現実という幻想を打ち砕くことによって、苦痛を伴う強制的な自覚をわれわれに強いる。共通する社会生活を送ってきたわれわれはすべて投資歴のある段階で、自分の望むような将来を心に描き、そうした期待にしがみつくようなやり方でマーケットをコントロールしようとしてきた自分に気づく。こうした強制的な自覚を強いられないためには、ほかの可能性や選択肢にも目が向くように、柔軟な心の視点を養うべきである。われわれはマーケットをコントロールすることはできないが、マーケットに対する心の視点を変えることによって客観的に見ようとすることは可能であり、そうすればマーケットと共有する現実も増えていくだろう。
われわれは強制的な自覚がいかに苦しいものであっても、それによってマーケットが提供するチャンスを放棄することはないだろうが、その累積する心理的な悪影響は極めて大きいものとなる。もしも強制的な自覚というものを何回も経験するならば、マーケットの行動に対するわれわれの見方は、次第に利益の追求から苦痛の回避へとシフトしていくだろう。資金の喪失、トレードミスまたはチャンスの取り逃がしなどに対する恐怖心が、われわれの決断や行動に重くのしかかる。それによる悪影響は次のようなものである。まず最初は、恐怖を引き起こすような対象だけに目が向いて利益のチャンスを大きく減らしてしまう。つまり、マーケットが提供する多くの情報のなかでも、自分が最も恐れているような情報だけに目が向いてしまうということである。いわばマーケットが提供する利益のチャンス、ほかの選択肢に関する情報などを自分で意図的に排除していることになる。こうした恐怖心とそれによるマイナスの影響が分かれば、損失を回避しようとする気持ちが実際には損失そのものを招いているという現実に気づくだろう。また、恐怖心はある状況に対するわれわれの反応を大きく制限する。多くのトレーダーは自分の望むものを正確に知ったときに大きく苦しむものだが、実際にそのようなチャンスが到来してもまったく行動できないこともよくある。
形のない相場の世界で成功するには、参入する前に自信と自己信頼を確立しなければならない。それは恐怖心がなく、そのときどきに何をすべきかが分かり、それを躊躇なく実行できる心の状態である。迷いは自己不信と恐怖心を引き起こし、それに見合った不安や混乱も生じる。恐怖と不安、混乱に満ちたマイナスの心を持ってトレードすれば、それまでの不満や無力感にはさらに拍車がかかるだろう。われわれは自分の心の状態を他人の目から隠すことはできるが、自分の目を欺くことはできない。もしもマーケットの行動が不可解に映るならば、それは自分自身の行動が不可解で手に負えなくなっている証拠である。何を望み、何を心で見ていようとも、自分が次に何をすべきかが分からなければ、次にマーケットがどうなるのかを予想できるはずがない。
こうした心の障害を乗り越えて成功した数少ないトレーダーは、「損切りは素早く」「流れに乗れ」「トレンドは友である」「損失をカットして利益を伸ばせ」「マーケットを知る前に自分自身を知れ」などの相場の知恵をよく口にする。本書はこうした相場に臨むトレーダーの心の問題を分析し、その克服策を一歩ずつ学べるようにまとめたものである(すなわち、相場の世界で成功するために必要な条件をステップを追って説明していく)。本書ではそのために必要なスキルとその理由、そして特に重要なそうしたスキルの修得法についても詳述した。
本書は4部で構成されている。第1部は序文と第1章~第2章、第2部は成功するトレーダーになるための条件や問題点を論じた第3章~第8章である。第3部(第9章~第14章)では心の視点を変えなければならない理由とその方法について検討し、続く第4部(第15章~第16章)では具体的なトレーディングスキルの修得法について総合的に考察した。本書を読めば客観的な観点からマーケットの行動を観察する方法、自分の心をコントロールする方法、正しい視点で相場に臨むための心のあり方などが理解できるだろう。
■第1章 なぜ本書を執筆したのか
一九八二年に本書を執筆し始めてから、先物取引のほぼあらゆる面で大きな進展が見られた。新しい取引所・商品・ニュースサービス、多様な専門書や刊行物、(コンピューターによってリアルタイムにマーケットをフォローする)高度なテクニカル取引システムなどが出現した。しかし、こうしたトレーディングサービスの大きな発展にもかかわらず、ほとんど変わっていないひとつの事実がある。それはマーケットから大きな利益を得るのは数少ない一部の高度なトレーダーだけであり、残りの九〇%以上のトレーダーは毎年損失を出していることである。
先物取引ではあるトレーダーが一ドルの利益を上げれば、別のトレーダーはそれと同じ金額の損失を出している。一部のトレーダーが一貫して大きな利益を上げ続ける裏では、ほかの多くのトレーダーが少数の勝ち組トレーダーに利益を与えている。言うまでもなく、すべての負け組トレーダーはそうした成功しているトレーダーのやり方やトレード手法を知りたいと思っている。これら少数の勝ち組と大多数の負け組トレーダーの間には大きな違いがある。それは一貫して利益を上げている勝ち組トレーダーは、心の規律というものをトレードの中心に据えて相場に臨んでいることである。彼らに成功の秘訣を尋ねると、その口からは一様に利益が累積し始めたのは自己規律、心のコントロール、相場の流れに乗るように心を切り替えることを学んだ結果という答えが返ってくる。
まず第一に、こうしたことはすべてマーケットのニュースやその他のサービス、新しい取引所、コンピューターによるテクニカル分析またはファンダメンタルズ分析などとは関係のない心理的な問題である。二番目には私自身のトレード経験をはじめ、ほかのトレーダーの間接的な経験を観察した結果、(勝ち組と負け組を含む)すべてのトレーダーは何らかの共通な経験を持っていることが分かった。それはトレードを始めた直後、またはトレードを始めてしばらくたったころに、混乱、欲求不満、不安、失敗の苦しみなどを経験していることである。こうした苦い経験を克服して利益を累積させた数少ないトレーダーとは、非常に難しい心の問題に直面しながらもそれを乗り越えた人であり、最も優れたトレーダーでさえもそうした自己規律と自己変革を成し遂げるには数年を要している。
トレードで成功するカギがそうした自己規律と心のコントロールにあるとしても、われわれは生まれながらにしてそうした習性を持ち合わせているわけではなく、いわば心のスキルをレベルアップして修得していくものである。一般にそのプロセスは試行錯誤の連続であり、経済的負担もけっして小さいものではなく、精神的な苦痛や苦しみにも満ちている。そのときの最大の問題は、多くの人々がこの試練を乗り越えるまでにすべての資金を失ってしまうことである。ラッキーにもそうはならなかったトレーダーでさえも、一貫して利益を上げる方法を修得するプロセスで受けた心のトラウマから今でも完全に回復できないケースもある。こうした苦しいプロセスを克服できるのはごく少数のトレーダーだけである。
過去と現在を通して優れたトレーダーであっても、自分のしていることとそのトレード手法、一貫して利益を出すまでに要した期間などをほかの人に説明するのはかなり難しい。多くのトレーダーはマーケットやその行動について共通した知識を持っているが、それぞれのトレーダーの行動にはまったく共通性がない。優れたトレーダーはその知恵を知りたいと思う一般トレーダーに対して、いわゆる自己規律と心のコントロールを学ばないかぎり、マーケットの知識はあまり役に立たないと語るが、それを具体的に説明することはできない。
例えば、「損切りは小さく」という有名な投資アドバイスがあるが、その具体的な方法をほかの人に説明することは難しい。変化して止まないマーケットではいつでも損失を取り戻すチャンスがあるのに、含み損が出たからといって直ちに損切りしなさいと言えるだろうか。そうしたトレーダーの資金と自尊心は危うくなってはいるが、価格が買値まで戻るチャンスが残されているときに(しかし、通常ではそうした可能性はあまりない)、なぜ損切りしなければならないのかを説明するのは難しい。そしてそのトレーダー特有の心理的な気質に見合った方法で損切りの必要性を説明するのはさらに困難である。
その結果、こうした投資アドバイスをほかの人にするときは、「そうですね、もしもあなたがトレーダーとして成功したいのであれば、自己規律と心のコントロールを学ぶことですね」といった程度の説明になってしまうのである。こうした曖昧なアドバイスになってしまうのは、主に次の二つの理由からである。まず第一に、自己規律や心のコントロールという言葉は抽象的な概念であり、簡単に説明したり理解できないこと。こうした言葉はよく聞くが、友人などにその意味を定義してくれと頼んでも嫌な顔をされるだけだろう。
二番目の理由は、成功しているトレーダーは地図や道しるべ、ガイドなど何もない状態で投資の旅を始め、ようやく自分の目的地を正確に知ることができるようになった(利益を累積できるようになった)ことである。彼らは大変な時間と労力をかけ、自己反省と試行錯誤を通して相場の世界をさまよい、度重なるトレードミスに泣いたり、経済的・精神的にも大きな苦しみを経験してきた。そうしたプロセスのある時点で、おそらく彼らは自分のなかで何かが変化したことに気づいたはずである。すなわち、それまで心理的に大きなマイナスのインパクト(怒り、ストレス、不安、恐怖など)を及ぼしてきたいつものマーケットの行動が、もはや同じ悪影響を及ぼさなくなったのである。この時点で彼らは自分にある程度の自信を持てるようになった、つまりマーケットの動きに適切に対応できるようになったに違いない。というのは、自信の程度とそうしたマイナスの感情との間には反比例の関係があるからである。自信と恐怖は(程度の差はあるが)いずれも同じ心の状態である。自信がつくにしたがって、それと反比例して心の混乱や不安、恐怖は軽減する。自分を信頼して必要なことが迷わずできるようになると、自然と自信もついてくる。自己信頼が高まれば、マーケットの予想できない不規則な行動も恐れることはなくなる。マーケットやトレーディングツールは何も変わっておらず、変わったのはトレーダーの心のあり方なのである。
トレーダーが個人的な成長という自己変革を成し遂げ、試行錯誤しながらも新しいトレーディングスキルを修得したとしても、とりわけその道のりが苦痛や不安、欲求不満などに満ちていれば、そのプロセスの一部始終を記録しておくことはないだろう。今のレベルのトレーディングスキルをどのようにして修得したのかを正確に覚えていなければ、それをほかの人に説明することはできない。また成功を成し遂げたトレーダーがその方法を知りたがっているほかの人々に、多くの時間とエネルギーを使ってそのプロセスを説明する気にはならないだろう。成功するトレーダーになる方法の教育プログラムを作成する能力と、成功するトレーダーにとって必要なスキルを修得する能力はまったく別物である。その違いは一方は選択できるものであり、もう一方は選択肢のない必須の条件、いわゆる強制的なものである。
私が「強制的」と言ったのは、相場の世界で生き残りをかけて正しい心のあり方を学ぶために、私は自宅、車、ほとんどの所有物を失わなければならなかったからである。すべての財産を失うということは人生が一変する経験であり、それは恐怖心がトレードに及ぼす影響を身をもって学んだ経験だった。こうした経験を通して学んだことは、いわば「強制的な自覚」ともいうべきものである。私が身を置いた相場の世界とは、自分の無知が失敗を招くと考えていた世界とはまったく違うものだった。私は一部のマーケット情報を入れないように心の防衛策を築いていたが、最後にはマーケットによって強制的に自分自身のことを知らされた。すなわち、自分のアイデンティティーの多くを占めていた外部要素はすべて取り払われ、私はまったく異なった視点から自分を見つめ直さなければならなかった。
それは一九八二年三月のことだった。その当時、私はCBOT(シカゴ商品取引所)のメリルリンチ・コモディティーズのAE(アカウントエグゼクティブ)をしていた。私は九カ月前の一九八一年六月に、少なくとも経済的には商業用損害保険業で大きな成功を収めていたデトロイト郊外の居住地から当地(シカゴ)に引っ越してきたばかりだった。その目的はトレーダーとして成功することだった。私はCBOTやCME(シカゴ・マーカンタイル取引所)の会員権を取得するだけのお金がなく、また会員権をリースできることも知らなかったので、メリルリンチで働くことにした。
私はゴールドコースト(シカゴの高級住宅地)の高価なアパートに住み、ポルシェに乗っていた。ガールフレンドとその二人の娘が住むデトロイト郊外の高価な住居も所有し、彼女らと会うためにほぼ毎週のようにこの二つの都市を往復した。自分の生活費と彼女らの扶養費は給与水準をはるかに超えていたので、トレーダーとして何としても成功しなければならないという大きな経済的なプレッシャーを感じていた。トレーダーとして大きな成功を収めないと、これまでの重大な決定と努力は水泡に帰してしまう。
シカゴに来るまでに、私には実は二年以上にわたるトレードの経験があった。二回のトレードでほぼすべての資金を失ったが、もちろんその後に貯蓄に励んでトレードを再開していた。トレードでの成功期間は短く、また勝ちトレードは少なかったが、それでもトレードをやめようとは思わなかった。一回のトレードで二五万ドル以上を儲けるチャンスもあったが、その大きな波に乗る前にポジションを手仕舞ってしまった。これには本当にがっかりしたが、それでもトレードへの情熱を燃やし続け、以前にも増してトレーダーして成功しようという決意を新たにした。その経験を機に私は参考になるような書籍はすべて購入し、またできる限り多くの投資セミナーに参加しようと決心した。
私が読んだほぼすべての本には、もしもあなたが大きな経済的プレッシャーのなかにあるならば、トレードで成功することはかなり難しいと書いてあった。つまり、限られた資金しかなく、余裕資金でトレードしなければ、トレーダーとして成功することはできないということである。絶対に失うことのできない生活資金しか残されていない私は、この成功のルールのどちらにも違反していた。そのうえ、自分にはまったく勝算のないことを裏付けるその他の証拠が山ほどあった。
私がシカゴに来たのは、トレードで成功する方法を知っている人々からその秘訣を学びたいと思ったからである。私が勤めていたメリルリンチ・コモディティーズは全米第二位の大手商品取引会社で、三八人のAEがいた。当初私は自己資金によるトレード経験者のAEが一人しかいないことに大きなショックを受けた。そしてこれらAEのだれも自分の顧客に儲けさせていないことを知ってもう一度ショックを受けた。実際、彼らの多くの顧客は平均して四カ月もしないうちに当初の資金を失っていたのである。
次に大きなショックを受けたのは、フロアトレーダー(自己利益のためにトレードする取引所のメンバー)たちと友だちになり始めたころ、AEではトレードで儲けられないだろうが、フロアトレーダーであれば儲ける方法を知っているだろうと思ったが、そうでないことが分かったときである。彼らもメリルリンチのAEと同じ状況だった。多くの人々から一目置かれている一握りのフロアトレーダーを除いて、一貫して利益を上げているフロアトレーダーはひとりもいなかった。彼らも自分でトレードする前にまずは周りの人々のアドバイスを聞いて自分を納得させるなど、自分のしたいことを迷わずに実行している人はいなかった。彼らの多くは一日のある時点では利益を出しても、コンスタントに利益を上げ続けることができなかった。トレード開始から数時間で二〇〇〇~三〇〇〇ドルの利益を上げるトレーダーも少なくなかったが、その直後にきまってそれ以上のお金を持って行かれるのである。
ほとんどのトレーダーはだれも問題にはしないようなこうしたミスを頻繁に犯している。明らかにマーケットの性質からいって、こうしたミスを大きな問題としてとらえるのは難しい。次回のトレードは前回のトレードとは何の関係もないと思われるからである。次のトレードで大きな利益を出せる可能性があるならば、前回のトレード結果をくよくよと思い悩む必要などあるのだろうか。私を含むすべてのトレーダーは、こうした一発屋の考え方から抜け出すことができない。実際に私もこうした考え方の傾向が強かったので、多くのトレードで五〇〇~七五〇ドルの含み益が出ても、ほどほどの儲けかなと思いつつも利益を確定することがなかった。本当にバカげていると思われるが、その当時は自分が必要としたり、または期待する利益に比べて、マーケットはこんなしみったれた利益しかもたらしてくれず、俺をバカにしているのかと考えていたのである。
経済問題が深刻になるにつれて、私の焦りはさらに深まっていった。もはや自分の周りで起きていることを正常には見られなくなった。それでもトレードでこうした困難から脱出できるという信念を変えることはなかった。しかし、一九八二年三月にはすべてが終わった。トレードで経済的な独立を果たすという夢を抱いてシカゴに移ってきてわずか八カ月、私は仕事、アパート、衣服、テレビ、ベッドを除いてすべてを失った。ほぼ一晩で自分のアイデンティティーを形成していたすべての構成要素がなくなった。すなわち、自己イメージの多くを占めていた所有物(住居や車、そしてとりわけ信用)が吹き飛んでしまった。無傷の信用は私の大きな誇りだったが、今ではそれすらもなくなってしまった。既述したように、こうしたことが起こる証拠はたくさんあったが、それらと正面から向き合いたくないというもうひとりの自分がいた。自分の周りで起こるすべてのことにそれを正当化する口実を探していたのである。
相反するすべての外部情報と向き合い、その意味を考えることを拒否すれば、大きなストレスを引き起こす。状況をさらに悪化したのは、すべてを失うのではないかという大きな恐怖心だった。あらゆる手段を尽くしてそうした恐怖心を抑え、それを感じないように心の奥底に閉じ込めようとした。しかし、危機が差し迫っていることはうすうす感じていた。恐怖心で心はボロボロになっていたが、すべてのものを失うという心のアンバランスを立て直す手だてがないときに、どのようにこうした状況に直面するのだろうか。心のアンバランスとは、自分自身に対する信念と実際の状況の不一致である。そうした信念がすべて崩れてしまった自分とは一体何なのか。それに気づくにはそれほど時間はかからなかった。経済危機が破局寸前にまで来たとき、心の防衛策も崩れ始めた。最後には破局という現実を受け入れざるを得なくなり、私は関係当局に自己破産を申請した。
こうした経験を通じて、私の内部では多くのものが変化した。人生でこうした深刻な事態に直面した人の例に漏れず、私も自分自身について多くのことを知った。本当に驚いたのは、それまでのストレスがなくなったことである。期待したり恐れたり、または必死になって守ろうとするものがなくなったとき、人間は大きな安堵感を感じる。大きな恐怖心を抱いて生活してきたが、実際にはそうした状況は存在していなかったことが分かった。現実は自分が考えていたほど悪いものではなかった。まだ生きているし、健康だし、考えたり行動することもできる。そして考える能力は自分の最大の財産だと認識するようになった。
次第に人間のアイデンティティーを形成する基本的な要素とは何かという、より深い次元の問題について考えるようになった。私はこれまで人間のアイデンティティーとはその人の所有物で形成されていると考えていた。所有物が多いほど、その人のアイデンティティーは大きいと信じていた。しかし、人間とはそうした所有物の総体以上の存在ではないかと考えるようになった。外見の物を次々とそぎ落としていくと、次第にこうした深い次元の自分が見えてくるようになった。こうした新しい自覚が生まれてくると、ミスを犯したり何かを失っても、それによって人間としての自分の価値が損なわれることはないと思えるようになった。ミスを犯す自分を許す余裕が生まれ、そうした苦い経験から何か有益で積極的なものが学べるならば、それは失敗ではないのではないかと思い始めた。
しかし、こうした私の個人的な経験はひとつの点でほかの人々の失敗経験と異なっていたので、ほかの人と自分の状況と比較するようなことはしなかった。すべての財産を失った数多くのトレーダーも私と同じように自分自身を知ることができても、経済的な理由からトレーダーとして再起できる可能性は低かった。私も自分のお金でトレードを再開することはできなかったが、まだメリルリンチの仕事は失っていなかった。この仕事は自分の個人的な経済事情の影響はまったく受けておらず、自分が自己破産したことを顧客や会社の同僚などには話さなかった。AEの仕事は私に残された数少ない財産のひとつであり、自分のやり方次第ではこれからもトレーダーとして生き残れる可能性は残されていた。
こうした状況が私と破産したほかのトレーダーとの根本的な違いであり、のちに本書を執筆しようという動機になった。トレードを続けられる自分は本当にラッキーだった(もちろん、自分のお金ではないが)。このように心理的に大きな自己変革を遂げた私は、内なる心の世界が外部の世界で自分が経験することに大きな影響を及ぼすことを多角的に分析できるというユニークな立場に立つことができた。心の世界と外部の世界のこうした相関関係は必ずしもはっきりしたものではないが、私の置かれた状況下では明らかに緊密な関係が存在する。マーケットはトレーダーに対していつでも利益のチャンスを与えているが、そうしたチャンスは基本的には常に変動しているマーケットにある。そしてマーケットとはわれわれが一般社会に存在するいろいろな制約に妨げられないで、自由に自分の望む結果を出せる世界である。こうした無限のチャンスを提供しているマーケットとは、トレーダーの心のあり方を一〇〇%反映したものである。マーケットはトレーダーが値動きのなかに何を見るのか、それについてどのような行動をするのかについて口を出すようなことはない。どのような情報に目を向けるのかという選択肢と行動力はすべてトレーダーの心のなかにある。もしも私がマーケットを恐怖心を持って眺め、私の懐からお金を奪うものと考えたとしても、実際に私をおびえさせているのはマーケットという外部の世界ではない。マーケットに対する私の恐怖心とは、自分の利益に最も適うような方法で値動きを予想したり、行動したりすることのできない自分の能力のなさを反映している。
私は何としても損失を回避しようと心に決め、死に物狂いで努力してきたが、実際にはそうした心のあり方そのものが損失を生み出していることが分かった。私たちはだれも外部の世界で起こっているすべてのことを認識する心のシステムは持ち合わせておらず、自分が目を向けるのは自分にとって最も重要な情報だけである。心の優先順位に従って一部の情報だけに注意を振り向ければ、必然的にその他の情報は認識の範囲から除外することになる。これをトレードに当てはめると、損失を回避しようとすればするほど、それとは逆の結果を引き起こすことになる。
私は利益のチャンスを提供しているマーケットの情報ではなく、自分が最も恐れていたものを引き寄せるような情報に目を向けていた。その結果、ほかの可能性やチャンスを提供している多くのマーケット情報がまったく見えず、私を素通りしていった。そうしたチャンスをとらえる唯一の方法は、今マーケットで起きていることから自分の注意をそらす要因を取り除くことである。損失やトレードミスに対する自分の信念が変化して初めて、私はチャンスを取り逃すことの本当の意味が分かった。つまり、心の視点が変わって初めて、今までまったく気づかなかったマーケットの行動やその性質が見えるようになった。
私はすべてを失っていたので、もはや恐れるものは何もなかった。その結果、偶然にも成功するトレーダーになるための最も重要な条件のひとつ、すなわちマイナスの心(罪悪感、怒り、恥、自虐心など)を持たないで損失を「受け入れる」方法を学んだ。損失に対する恐怖心がなくなり、いわば生まれ変わった私はこれまでとは違う視点でマーケットを見たり、その行動を経験できるようになった。それはあたかも、今まで気づかなかった目隠しをだれかが外してくれたような気分だった。それまでの私はいつも恐怖心でいっぱいであり、恐怖心のないトレードなどは考えられなかった。
私のこうした恐怖心が、トレードとマネーマネジメントに関する大切なルールの順守を妨げていた。こうしたルールを順守すればするほど、自分をますます信頼できるようになった。そして自己信頼が高まるほどマーケットの行動が読めるようになり、マーケットに関する新しい知識が増えていった。マーケットに対するこうした新しい心のあり方は、相場の流れに乗るというスキルにプラスの影響を及ぼすようになった。ミスを恐れなくなるとポジションを変えることもそれほど難しくなくなり、また早めの損切りもできるようになり、次のチャンスを待つ心のゆとりもできてきた。
一九八二年六月までに、私は自分を信頼してくれた顧客のために一貫して利益を上げられるようになった。多くのトレーダーの基準から見るとそれほど大きな金額ではないが、それでもコンスタントに利益を上げられるようになった。同年八月に私は自分が身をもって経験したことを多くのトレーダーに伝えようと本を執筆、あるいは少なくともセミナーは開催しようと思った。しかし、こうした分野の資料はほとんどなかった。トレードで成功するのはなぜ難しいのかということを効果的に理解させるような教材、特にトレードに臨む心のあり方について深いレベルで論じた資料は皆無に等しかった。私は、自分の信じることはトレーダーとして利益を累積するための絶対条件であると思っている。それに必要な心のスキルを修得するために、一歩ずつ体系的にその方法を学べるように本書を執筆した。しかし、このアプローチを効果的に進めるには、その前にまず新しい考え方を学ばなければならない。