遅咲きトレーダーのスキャルピング日記 1年間で100万ドル儲けた喜怒哀楽の軌跡
トレード日記の重要性
本書は18ヶ月強で資産を200万ドルまで増やすことに成功した個人投資家による書籍で、当時公開していたブログをまとめたものです。
先物市場における短期トレードで筆者がどのように考え、どのような行動をとり、それが、どのような結果となり、どのような評価がされ、その後、それがその後のトレードにどのように影響したかが詳しく記載されており、FX市場でも参考になりそうなものが多く、読み応えがあります。
毎日トレードを行なっていると、人によっては都合の良いことばかりを覚えていたり、逆に悪いことばかり覚えているなど、曖昧な記憶の中に過去のトレードが埋もれていきます。
そして、同じ失敗を繰り返してしまうという方は少なくないのではないでしょうか?
トレードを継続していく上で、過去のトレードの経験は将来、役立つことが多いというのは言うまでもありませんが、曖昧な記憶の中に置き去りにしてしまっては、中途半端なものになり、同じ失敗を繰り返してしまう原因になります。
この問題を解決するためには、この書籍の筆者のように、トレード記録をつけておくというのが、やはりお勧めです。
この筆者のように自分なりのトレード記録をつけて、トレードの技術を改善させ、成功したという話は珍しくありません。
トレード記録をつけ、それを見返し、過去のトレードから得たことの記憶を脳にしっかりと定着させることで、将来のトレードプランを考えるときに、経験を活かすことができます。
トレードを行う際のヒント?
筆者が記録を行う際に、次の2つの決意を行なっています。
1. 毎日、全てのトレードで「回復」するときの思考モードになる。
2. 6月30日と12月31日以外では、実際の資産残高を見ない。
この2つはトレードを行う際の心構えとして、古今東西多くのトレーダーにより紹介されている方法です。人によりメンタル面は大きく差が出るところではありますが、トレードを行う前に精神状態がブレていると、相場の分析やトレード手法にムラができやすくなるといえます。
このようなムラがあると、トレードで安定した収益を上げるのは難しくなります。
また、実際の資産残高を見ないというのも、安定した収益を狙うためには有効という意見は多くのトレーダーから聞かれます。これは、資産残高を見ると、無駄な感情が生まれ、裁量トレードを行う場合、マイナスに働くことが想定されるからです。
例えば、「あといくらで〇〇円になるから、もう一回トレードしよう」と無駄なトレードを行なってしまったり、「資産が増えてきたので、少しリスクをとって大きなリターンを狙ってみようかな」など、当初の計画にはないことをしてしまうというケースです。
このようなことを避けるため、損益はPips数で考えることが推奨されます。
本書では、このような、実際にトレードをしてみないと、わからない感情に関するものも多く登場し、短期トレーダーを中心にこれから相場と真剣に向き合いたいと考える方にはお勧めです。
本ホームページに掲載されている事項は、投資判断の参考となる情報の提供を目的としたものであり、投資の勧誘を目的としたものではありません。投資方針、投資タイミング等は、ご自身の責任において判断してください。本サービスの情報に基づいて行った取引のいかなる損失についても、当社は一切の責を負いかねますのでご了承ください。また、当社は、当該情報の正確性および完全性を保証または約束するものでなく、今後、予告なしに内容を変更または廃止する場合があります。なお、当該情報の欠落・誤謬等につきましてもその責を負いかねますのでご了承ください。
■目次
監修者まえがき
序文
はじめに
「レース」
目の前のニンジン
本書の構成
2008年7月4日(金) 初登場
公開したトレード日誌の意図と使い方
日誌をつけることとパフォーマンス
自信と謙虚さのバランス
竹とチャンス
トレード本ではあるけれど
パート1 始まり
幼いころのトンネルの時代
遅咲きの人生
最初の仕事
仕事を辞めない
どん底から這い上がる
展望の変化
勝負をかけるチャンス
パート2 100万ドルのレースを記録する
2008年7月の日誌より
2008年7月4日(金) 礎
2008年7月5日(土) なぜうまくいったのか
2008年7月6日(日) ポーカーの効果
2008年7月11日(金) もう分かっただろう
2008年7月14日(月) 今日からは日中に日誌を書く
2008年7月17日(木) 時間外取引のバイアス、計画とトレード
2008年7月22日(火) 強みを生かせ
2008年7月23日(水) 教科書どおりの「トレンド日の翌朝」
2008年7月24日(木) マーケットのバイアス
2008年7月25日(金) 朝のトレード
2008年7月28日(月) ファウルにする
2008年7月30日(水) まだ仕事は残っている
2008年8月の日誌より
2008年8月2日(土) グレースの物語
2008年8月5日(火) FOMCの開催日
2008年8月6日(水) FOMCのあと
2008年8月7日(木) ブラインドとアンティと忍耐
2008年8月8日(金) 1回はだまされたが……
2008年8月11日(月) リズムの変化
2008年8月13日(水) 2つのマーケットの話
2008年8月18日(月) トレンド日
2008年8月19日(火) とにかくプラスで終わればよい
2008年8月20日(水) ボラティリティ再び
2008年8月21日(木) レンジ、レンジ、ブレイク
2008年8月22日(金) 電話を持ったまま
2008年8月26日(火) 銀なのか、金なのか
2008年8月27日(水) ちょっと一息
2008年8月30日(土) 地表に向かって掘る
2008年9月の日誌より
2008年9月4日(木) ゾーンに入っている
2008年9月8日(月) 最高のパフォーマンスとはいかなかった
2008年9月9日(火)
2008年9月10日(水) 堅実なパフォーマンス
2008年9月11日(木) 午前中は攻撃、午後は守備
2008年9月12日(金) 楽しいことには……
2008年9月18日(木) マーケットの恵み
2008年9月19日(金) 忘れ難い週
2008年9月23日(火) 最終ラップに向けてハードルを上げる
2008年9月26日(金) 「トレード」を手仕舞う
2008年9月30日(火) ここからが難しい
2008年10月の日誌より
2008年10月6日(月) 混乱の月曜日
2008年10月6日(月) 混乱後の分析
2008年10月7日(火) 仕事に戻ろう
2008年10月8日(水) 86%を回復する
2008年10月10日(金) 惨事を避ける
2008年10月15日(水) 休日
2008年10月17日(金) 7回表で見限る
2008年10月21日(火) グチャグチャ言うな、ドン
2008年10月22日(水) 壁にぶつかる
2008年10月23日(木) 立場が違うぞ
2008年10月23日(木) 虎の目
2008年10月24日(金) 防御的勝利
2008年10月28日(火) 地雷を避ける
2008年10月29日(水) 出遅れた
2008年10月30日(木) ファイナルテーブルにようこそ
2008年10月31日(金) 朝の強み
2008年10月31日(金) 10月のまとめ
2008年11月の日誌より
2008年11月4日(火) 新しいゲームのようだ
2008年11月10日(月) 戦いだ
2008年11月12日(水) 冷えたエンジンを始動する
2008年11月13日(木) 急がないとやられるぞ
2008年11月15日(土) モメンタムの力
2008年11月20日(木) Bのゲームを管理する
2008年11月21日(金) トレードスタイルは問わない
2008年11月25日(火) 荒いペース
2008年11月26日(水) TICKの教え
2008年11月28日(金) 警告サイン
2008年11月29日(土) ゴールを調整する
2008年12月の日誌より
2008年12月3日(水) 針路を維持せよ
2008年12月6日(土) 「たったひとつの大切なこと」
2008年12月10日(水) だれのせいか
2008年12月11日(木) 復活
2008年12月12日(金) 今週をふり返って
2008年12月15日(月) すべきことをしたのか
2008年12月17日(水) 残りの2ストローク
2008年12月19日(木) そのときが来た
2008年12月26日(木) 目標1ドルの年
2008年12月29日(木) 年末の成績表
2008年12月31日(水) 今日は踊ろう
パート3 レースのあとに――2009年の挑戦より抜粋
2009年1月22日(木) ジェットコースターのような1日
2009年1月11日(日) ジャズトレーダー
2009年2月10日(火) ゴミ箱行きの日
2009年2月11日(木) 日が昇った
2009年3月11日(水) 不愉快な時間
2009年3月11日(水) さらなる解説
2009年4月4日(土) 40歳以降の人生
2009年5月16日(土) すべての始まり
2009年5月16日(土) ほんの少し足りない
2009年6月17日(水) デンタルフロスをする理由
2009年6月25日(木) 夏の休暇の過ごし方
パート4 ジェリートレーダーの誕生
起源
メンバー選び
メンバーのコメント
2009年8月19日(水) 「ノーカントリー」
2009年8月22日(土) チームワークと単純さ
2009年9月22日(火) 成功へのカギ
パート5 ジェリープログラムのあと――2010~2012年の日誌より抜粋
2010年1月8日(金) ポーカーとトレードと集中
2010年1月29日(金) 職場の安全
2010年4月18日(日) 人生の「、」に注目する
2010年3月25日(木) クビだ
2010年5月8日(土) 急落の分析
2010年9月21日(火) お金は眠らない
パート6 MFグローバルの破産
2011年11月4日(木) MFグローバルという氷山に乗り上げて凍りつく
種類の違うトレード
2011年9月22日(水) 勝利
パート7 上がったあとは……
動いている物体は動き続ける
マクロレベルのトレイリングストップ
百聞は一見にしかず
パート8 最後に
付録――日誌とジェリーで使用した略語と頭字語
参考文献
■監修者まえがき
本書はドン・ミラーによる“Chronicles of a Million Dollar Trader : My Road, Valleys, and Peaks to Final Trading Victory”の邦訳である。2008年、ミラーはトレードで100万ドルの利益を上げると目標を決め、同時にインターネット上にトレード日誌を公開し続けた。彼は最終的に18カ月で200万ドルの好成績を収めるが、出版社の依頼でその経緯をまとめたのが本書である。
ところで、読者のなかにはトレード手法について強い関心を持つ方もおられると思う。初めに書いておくが、著者のトレード手法はトレンド日の翌日にフォーカスし、DAXの動きやTICKおよびVIXを参考指標とする短期トレードであり、これと言って特に際立ったものではない。したがって、単にトレード手法だけを見た場合は、本書の価値や新規性は分かりにくいし、ミラーの成功の理由にも謎が残ることになる。
では、あの困難な年に、著者が安定的かつ高いパフォーマンスを残せた背景は何だろう? 一般にオペランド(操作される対象)としての投資戦略やトレード手法は、オペラント(操作する主体)としてのトレーダーや投資家次第で、その価値や有効性はどのようにでも変化するが、ミラーはこのメカニズムを潜在的に正しく理解していたのである。なお、投資におけるパフォーマンスは、①マーケットの状態、②投資戦略、③売買主体の状態――の3つの変数の共創によってもたらされるが、①はコントロール不能であるのに対し、②は選択可能、③は適応可能である。
一般に、初心者の投資家はまずは「儲かる銘柄」を知りたがる。だが、そのうちにそんなものはどこにも存在しないと分かると、次に、「優れた投資戦略やトレード手法」を知ることに一生懸命になる。しかし、どんなに優れた手法であっても、あくまでトレードする側の心理的・生理的な状態の管理とセットで語られなければまったく意味がない(同様に、トレーダーの心理だけを取り上げた解説も大した価値は期待できないことになる)。本文中に著者の残したトラックレコードの必然性を疑う読者の話が出てくるが、それはマーケットの状態と投資戦略の範囲内だけでモノを見ることに起因する誤謬である。ミラーの成果はけっして偶然ではない。彼は過去のトレード経験から、自分に適した心理的・生理的状態を発見し、それを維持する工夫を凝らした。彼の選択したトレード手法は凡庸なものであったが、それでも「オペラント―オペランド構造」をよく理解し、自身を適応させたことが成功を呼んだのだ。トレードの実践記録でこれほど顕著にこの重要性が見て取れるものは珍しい。読者におかれてはそのあたりを読み取っていただければ幸甚である。
翻訳にあたっては以下の方々に心から感謝の意を表したい。翻訳者の井田京子氏は分かりやすい翻訳を、そして阿部達郎氏は丁寧な編集・校正を行っていただいた。また本書が発行される機会を得たのはパンローリング社社長の後藤康徳氏のおかげである。
2015年3月
長尾慎太郎
■序文
私が長年、トレードに関する本の執筆を断ってきたのにはさまざまな理由がある。1つ目の理由は、ドンミラーブログ・ドット・コム(http://www.donmillerblog.com)で公開しているトレード日誌のほうが、私の考えをトレード仲間にタイムリーに伝える方法としては優れていると考えてきたからだ。この日誌は、最初はトレードの詳細を記録していただけだったが、途中からはこれをトレーダーの教育や、動機付けや、業界活動の場として使うことに私の関心は向いていった。ただ、これを本にしても、本の場合、うまく作らなければ完成した途端に時代遅れになってしまうという大きなリスクをはらんでいる。つまり、誠実な著者にとって最初のハードルは、時間が経過してもずっと有効な内容にすることなのである。
2つ目に、本書の『Chronicles of a Million Dollar Trader(100万ドルトレーダーのトレード日誌)』という題名は、私が先物のデイトレードで2008~2009年の18カ月間に200万ドルの利益を上げたときのことが書かれている(当時、私は1年間で100万ドルの利益を上げるという挑戦を自らに課していた)という意味では正しいが、私は成功について書きたかったわけではないし、読者が現在取り組んでいることをやめてまで、私のまねをするようなことはしてほしくないと思っている。本書を読み進めれば分かるとおり、私がたどったのは、ゴール達成など永遠にできないような気持ちになりながら、つまずきと失敗を繰り返し、血を流し、打ちのめされながら進んだ道のりだった。それに、最終的には目標を超える成果を達成したものの、その間は私自身も家族もある程度の犠牲と苦難を強いられた。
3つ目は、ほぼ自伝に近い本を書けば、誠意を持って書いたとしても、個人的なエゴや自慢が入り込んでしまうリスクが多分にあることだ。しかし、トレードの世界でも人生でも失敗をもたらす最大の原因が性格的な欠陥だということは、成功したトレーダーならばみんな言っている。それにこの何年間か私にもたらされた成功の元は、失敗したことにあると思っている。このことをもう1回考えてみるだけでも、人生の秘訣がいくつか見つかるだろう。そのためには、成功と同じかそれ以上に失敗について書くという挑戦が待っていた。
4つ目は、純粋にビジネスとして、優れたトレーダーは書くよりもトレードに注力するほうがはるかに儲かるということだ。トレード本の著者ならばだれでも印税はお世辞にも多いとは言えず、むしろ本を出したことで生じる「雑音」を考えればほとんど割に合わないということに同意してくれるだろう。
そして最後に、教育的な意図で本を書いたとしても、トレードを本のみで教えるのは不可能だということがある。成果主義の分野に共通して言えることだが、トレードの成功には集中的な教育と、何年もの経験、そして変化し続ける金融市場という大海でかじ取りをしていくためにスキルを磨き、維持していく能力が必要とされる。このような理由から、私は長年本の執筆依頼を断り続けてきた。
ある電話
そんなとき、ジョン・ワイリー&サンズ(質も水準も高い金融書籍を数多く手掛けている出版社)のローラから電話があり、私のトレード日誌と補足説明を正式に本にまとめることを勧められた。1990年代末からトレード教育や業界の支援活動を始めて以来、維持してきた価値観に外れることはしないと明言していた私は、あまり気乗りしなかったが、出版内容について話し合いが始まった。
このときはさまざまなことを考えた。これは私のトレード体験というノンフィクションを、『欲望と幻想の市場――伝説の投機王リバモア』(東洋経済新報社)――ワイリーが手掛けた本で、長らく最高のトレード本と言われている1冊――のような形で書くチャンスだった。現代では、リバモアの時代とはさまざまなことが変わっており、このなかには短期トレードの機会の大幅な増加、技術的な進歩、マーケットにアクセスの向上、規制緩和などが含まれている。また、これは何年間も密かに、だが熱心に準備を整えて大きな利益をつかみ、そのあとそれをマーケットに返上せずにすんだ珍しいトレーダーの物語を伝えるチャンスでもあった。投資家や有名人やプロの運動選手や宝くじの当選者がせっかく獲得したお金を、ときにはそれを得たのと同じくらいの速さでなくしてしまったという話はたくさんある。また、かつては「マーケットがあなたのお金を奪うことはありません」と請け合ってきたゴードン・ゲッコー(映画「ウォール街」の主人公)のような連中がいたが、今では趣向も新たなに「あなたが苦労して貯めたお金をブローカーが持ち逃げするようなことはありません」と請け合っている。
話し合いが進むにつれて、私の考えは「自分の話を書くべきか」ということから、「次の条件が整ったときのみ書くべき」だというように少しずつ変化していった。その条件とは、①トレードの成功は、教育と、経験と、忍耐と、集中と、意欲が正しく組み合わされば間違いなく可能だということを証明することができる、②私の足跡を残すことで、ひとりでも血まみれになって深みにはまる人を減らすことができる――ことである。
トレーダーにとって避けることができない痛みや苦難を考えると、トレードが自分の子供に最も就いてほしい仕事ではないということを、これまで何回も言ってきた。理由は、①ほとんどの小企業はうまくいかない、②ほとんどのトレーダーもうまくいかない――からである。つまり、トレードを始める人は、みんな最初から2ストライクとられてミスの余地などほとんどない状態でトレードを始めることになる。しかし、私は、①マーケットで大きな成功を安定的に続けることができるということに対してつゆほども疑っていない、②もしこの仕事のすべての特性を考慮したうえで、私の子供やそれ以外の人たちが私のあとに続くことを決断したのならば、私は全力で彼らの痛みを減らす手助けをする――とも言ってきた。そして結局、私は長年断ってきた本の執筆を承諾した。
これから、私の人生の旅に付き合ってもらうことになる。この旅は、立ち直ることができないほど深い絶望の谷から、空まで届くほどの勢いで伸びていく美しい竹まで、紆余曲折が多くなるだろう。また、さまざまな時期と場所も巡ることになるが、まずは初期の未熟だった時期のことから話そう。ときには涙の池を超え、自ら招いた傷を負い、集中と中断のせめぎ合いをうまくコントロールできないこともあったが、個人的な思いと、人生で本当に大事なことが何かを考えたうえで、私は再び戦いの場所に戻ってきた。そして、どんなときでも常に前進していた。
注意点をひとつ、本書を読むときに、前半を飛ばして、最初からいわゆる「竹」に成長した部分を読んでしまうのはやめてほしい。これは、それまでの時間や努力や恩恵が実を結んだところだからだ。トレーダーは本質的に性急で、すぐに本題に入りたがるということは分かっているが、パート1には、それ以降に必要となる基本的な情報が書かれている。
本書に書かれていることはすべて実話であり、金融トレードの世界である程度のことを成し遂げたことが記してある。これは、私のように恐ろしく不完全な人間でも、何年にも及ぶ極度の献身と準備と意欲に特別なチャンスが重なれば、どのようなことでも可能だということを示している。ただ、それよりもはるかに大事なことは、これは情熱と、謙遜と、涙と、勝利と、没収と、奮闘(人間らしさと完璧さを追求することの間でもがくこと)の記録だということである。トレードが人生を映しているように、人生もトレードを映している。一方で成功できる人は他方でも成功する可能性が高い。私たちの旅が終わるころに、それが人生に対する見方とトレードに対する見方をより深められていれば、本書の目的は達せられたと言ってよいだろう。
良いことも、悪いことも、醜いこともあるが、しっかりついてきてほしい。終わってみれば、衰えることのない神の恩寵によって、命という贈り物と同じくらい素晴らしい旅だったと思えるだろう。
はじめに
2007年12月、すでに何回目かの出発と、失敗と、再出発と、中断を経験していた46歳の私は、断続的に取り組んできた株価指数の先物トレードに、それまでとはまったく違う手法を使おうと決意した。私は、一般的な基準で言えば成功していたと言ってよいのだろうが、それでも私の利益は氷山の一角であって、それよりもはるかに大きい潜在利益があると思っていた。それに、もうすぐ50歳になるのに、それまで短期的な視点しか持っていなかったため、引退資金はとても十分とは言えない状態だった。私は、家族に将来の経済的な心配をさせないように、トレードチャンスを探す必要に駆られていた。 さらに言えば、私はトレードだけでなく、コラムの執筆、トレード教育など複数の活動に携わり、個人的には時間と状況が許すかぎりみんなが自分で資金管理ができるスキルを身につけるべきだという強い信念を持っていたが、自分についてはいわゆる器用貧乏だと思っていた。そのうえ、トレードという仕事の本質を理解しない反対論者が、トレードなど無責任なギャンブルで、マーケットで一定以上の成功をおさめるのはまぐれでなければ不可能だなどと主張していることにイラ立ちが募り、「有言実行」を体現したいという気持ちが強くなっていった。
「レース」
そこで私は、引退資金を100万ドルに増やすという目標を立て、一定期間(このときは1年間)をその達成のためだけに捧げることにした。飲食と睡眠と空想と指数先物のデイトレードのみに集中することにしたのだ。この「レース」には、あとから考えれば3つの目的があった。詳しくは本文で述べるが、1つ目は、もしこれが達成できれば、現在は心もとない引退資金の心配をしなくてよくなるため、残りの人生と資金を自分が本当にしたいことに使うことができるということで、このなかには純粋にトレードを楽しむことも含まれている。2つ目は、このような目的に向かって努力することで、私がこの10年で苦労して身につけたトレードスキルがどこまで進歩したかを知るための挑戦にもなるということだった。そして3つ目は、トレードの成功が現実的に可能で、妥当で、持続できるということを大きいサンプルサイズの実際のデータとして示すことだった。
ただ、これらの目的と同じくらい重要なことは、このレースが意図しない結果を及ぼさないようにすることだった。このレースは金持ちになるためでもなければ、自己宣伝をするためでもない。金持ちになるためでないことは、本文で私のお金に対する考え方を読めば分かってもらえると思う。簡単に言えば、私たちは神から与えられた資産を一時的に預かっているだけで、金銭的な利益や損失は、自分やほかの人たちのために「時間」をもらうか使うという違いでしかないからである。また、私はみんながそれぞれの才能を最大限伸ばし、分け与える責任があるとも考えている。特に、自分たちの資産を効率的に増やして守るために信頼して託せる人が限られている時代においては、その責任を自分で負うしかない場合が多くなる。
世間では時はカネなりと言う。しかし、私はそれを逆にしてカネが時だと言いたい。例えば、トレーダーになって利益を上げれば、ドローダウンや低迷期、病気のとき、集中力や意欲を失ったときをやりすごす時間が手に入る。そして、何よりも大事なのは利益を蓄積することで、必要な資金をきちんと確保しておけば、人生に直接的に影響し、向上させることに費やす時間を得ることができる。その一方で、損失は単純に時計を巻き戻してしまう。少額の損失ならば、何日か戻るだけかもしれないが、ときどきある大きな損失(確率と統計と不完全な人間がかかわっているトレードという仕事において当然予想されること)はカレンダーを数カ月も戻してしまうかもしれない。私は何十年もかけてこのような考えに至ったが、それができたことで資産が急速に増えた時期も経済的に苦しかった時期も大いに助けられた。
目の前のニンジン
この挑戦が売名行為だと言う人もいるが、それは真実とはほど遠い。私は100万ドルを獲得する前から、それまでの成功によって執筆や講演やメンターなどの活動をしており、業界では知られた存在だった。ただ、これらの活動を楽しんではいたものの、それによってマーケットへの集中が途切れ、トレーダーとしての潜在力をフルに発揮することができていなかった。そこで、私は何年か業界活動を離れ、集中的に人生や仕事や体を整えようと思った。つまり、このレースとゴールは私個人にとってのニンジンでしかなかったのである。
自らを隔絶してみると、すぐにそのメリットとは別に、ひとりきりで挑戦することの難しさがいくつか明らかになった。1つ目は自分の行動を日々報告する義務がないことで、2つ目は同僚の助けがないこと、そして3つ目はトレードに対する理解がある程度の水準に達したことによって知り得たいくつかの重要な発見や経過をほかの人たちにリアルタイムで伝えたくてたまらなくなったことだった。そこで私は2009年の映画「ジュリー&ジュリア」の精神にのっとって、密かにオンライン日誌を書くことにした。ちなみに、この映画が公開されたのは、私が日誌を初めてから1年後のことだったが、彼女も個人的に具体的な目標を立て、その過程を成功も失敗もブログで世界に報告していた。映画のなかで、エイミー・アダムス演じるジュリー・パウエルは1年間、毎日メリル・ストリープ演じるジュリア・チャイルドのレシピに従って料理を作ることを決意し、自身を鼓舞し、成長を記録するためにブログを書くことにした。レシピのなかには、チャイルドが1961年に書いた『マスタリング・ジ・アート・オブ・フレンチ・クッキング(Mastering the Art of French Cooking)』に載っている料理も含まれていた。私がのちに日誌に書いたとおり、パウエルの投稿のなかには、怖いほど私の人生と似ている内容があった。
このようにして、私のレースの後半(およびそのあとの人生)は2008年7月からライブで詳細に記録されていくことになった。そして、それを何千人ものトレーダーが毎日読み、一緒にカウントダウンし、ドンミラージャーナルというサイト(http://www.donmillerjournal.blogspot.com、のちの http://www.donmillerblog.com)を通じて私と交流してくれていた。この日誌は私の挑戦の半分しか記録されていないが、後半の6カ月間とおまけの時期だけでも、150万ドルのレースとなった。ちなみに、本書執筆のために資料をまとめてみて、私は初めてその価値を認識したのだった。
本書の構成
本書の内容は、そのほとんどが時系列になっている。パート1は、初めて公開する私の若いころの経験や、仕事での成功と失敗など、その後の人生の基礎となった出来事について書いてある。そのあとは、2008~2012年にかけて投稿した約100回のトレード日誌ですでに書いたことである。パート2は、2008年後半に投稿した70回以上のトレード日誌である。パート3~パート7は、そのあとの時期の主な出来事をつづっている。これは主に2009~2012年にかけて投稿した内容で、このなかには、その後のトレードや、発見、短期利益を消し去る多数派の仲間にはならないこと、慈善事業やトレード教育を通して業界に恩返しがしたいこと、いくつかの興味深いトレード、先物業界(私を含めて)を揺るがせたMFグローバル事件の核心などについて書いていく。
まず、手始めに、2008年7月の初めての投稿を見てほしい。
2008年7月4日(金) 初登場
世間から姿を消して2年半、何から書き始めればよいのだろうか。知っている人もいるかもしれないが、私は何年にもわたってトレードを教えたり、トレード関係の出版物やサイトに寄稿したりする活動してきたが、それを2006年2月で停止した。2年半前、ガソリン価格は今よりもはるかに安く、ケビン・ガーネット(NBAのプロバスケットボール選手)はまだセルティックスに移籍していなかった。
私は、当初の計画では2009年の初めまで「姿を消す」つもりだったが、途中で考えが変わり、自分のトレードをまったく新しい段階に押し上げてくれた発見について公開し、日々の考えやトレードや結果をつづった正式な記録をつけることにした。これまでと同様に、トレード結果が良くても、悪くても、醜くても、トレード記録と合わせて公開していくつもりだ。
ただ、それまでの「公の」人生と同様に、新しいサイトもまったく派手なことをするつもりはない。そういうことは単に嫌いなのだ。私はただのトレーダーで、トレードにおいて倫理的な側面が最も大事だと考えている。私がトレードを公開する唯一の理由は、私の挑戦を見守ってくれる人たちに、私の個人的な見解を伝えることにある。さあ、心機一転、新しい挑戦の旅を始めよう。
私の日誌について、宣伝のたぐいは意図的に行わなかったが、そのもくろみはもろくも崩れ去った。小さな雪の塊が瞬く間に大きな雪崩になってしまうように、私のサイトもアクセス数が急増し、トレード系ブログの2つのランキングでトップ10入りを果たしてしまったのである。
なぜ、このブログがそれほどみんなの関心を集めたのかは、今でもよく分からない。テレビのリアリティー番組にあれほどの人気が集まるのはそのせいなのだろう。もしかしたら、私のサイトもNASCARレースで高オクタン燃料車が、衝突や死亡事故もある高リスク・高リワードのレースに挑むのを楽しむような感覚で見られているのではないかと思った時期もあった。しかし、フォロワーと交流していると、そのような人や、それよりもひどい人(私の意図や誠実さや実際の結果に異議を唱えて私を精神的に追い詰めようとする人たち)もわずかながらいたものの、ほとんどの人たち(何千人にも上る)は、信じられないほど応援してくれていることが分かった。そして皮肉なことに、目標を達成するためにはどちらのグループも必要だということに私はすぐに気づいた。そればかりか、今振り返れば中傷が私の決意を強めてくれたことは明らかで、そう考えれば彼らの重要性はさらに高まる。つまり、私はみんなに感謝し、幸運を祈っている。
公開したトレード日誌の意図と使い方
私の5年間に及ぶ日誌を正しく見て、最大限活用するために知っておいてほしい重要な点がいくつかある。1つ目は、トレーダーとしても著者としてもそうだが、この日誌も不完全だということである。私はきっと本書が完成した途端に、別の資料を使えばよかったとか、違う言い方をすればよかったとか、別の日の日誌を載せればよかったなどと思うに違いない。率直に言って1100回以上も投稿した日誌のなかから本書に掲載する分を選ぶだけでも大変なのに、そのなかでさまざまなマーケット状況やパフォーマンスや話題をバランスよく配置するのはかなり骨の折れる作業だった。このなかには、役に立ったという読者のフィードバックがあったという理由で選んだものもあれば、マーケットの状態や人生における優先順位が変化するなかで、当時の私のレベルに合っていたという理由で選んだものもある。
また、ブログがときとともに変化していったことにも気がつくと思う。例えば、初期のころの投稿は先物トレードについて基本的な情報や見通しを詳しく述べるとともに、私のトレードを新しい段階に押し上げてくれた新たな「ひらめき」についても書いていた。しかし、何年かたつと、ブログの焦点はトレーダーの動機や、教育や、支援に変わっていった。抜粋した日誌の前後の状況は、オンラインのブログをアクセスして補ってほしい。
ちなみに、この日誌は私が個人的な考えをまとめるためのもので、そのままの形で投稿することが最も適切な助言になるということを念頭に置いて書こうと思っていた。何年か前にテレビドラマの「マッシュ」で、アラン・アーブス演じるシドニー・フリードマンがシグムンド・フルードに手紙を書く場面があったが、これは実はフリードマンの自己療法なのだった。同様に、私が日誌を投稿するのも、読者に向けて書いたように見えても、実際には自分に向けて、集中しろ、軌道から外れるなと声掛けする目的で書いていたのである。前出の『ザ・サイコロジー・オブ・トレーディング』のなかでも、スティーンバーガー博士は客観的に自分の考えを見つめる「内なる観察者」の存在が心のバランスを保ってくれると書いていた。私の「観察者」はたまたまキーボードを打つことができたということだ。つまり、もし私のブログを読む人がだれひとりいなくても、私はほとんど同じことを書いていたと思う。
本書に載せた日誌は、スペルミスを直し、簡潔にしたり明確にしたりするために多少書き直した部分はあるが、ほとんどは当時ブログに投稿したときのまま掲載してある。新たに追加したのは、S&P500のEミニの15分足チャートで(アメリカの取引時間のもので、15期間の単純移動平均線付き)、その日のマーケットの全体的なリズムが分かれば、値動きに関するコメントが理解しやすくなると思ったからだ。そのため、これらのチャートには、実際には投稿日前後を合わせて3日分の動きを含めている。ただ、これらは全般的な背景を示しているだけであり、このような限られた情報だけでコメントやトレード理由をチャートに正確に当てはめようとするのは無益だし危険なことである。理由は、①日誌はもともと自分のために書いていたもので、すべての行動の理由を細かく説明しているわけではない、②NYSE(ニューヨーク証券取引所)のTICKチャートや3LBチャート(3本新値足)などさまざまなツールを使っていたが、それをすべて本書に載せることはできない、③そのほかにもさまざまなテクニカル分析を使っていた、④アメリカの取引時間以外に、ユーレックスでのトレードに関するコメントもあるが、すべてのチャートを掲載することはできない、⑤マーケットと関係のない理由や優先事項、疲れて集中力が落ちていたなどの理由で、あとから考えればチャートを見てもトレード理由が明らかではないケースがある――などといったことが挙げられる。⑤については、生活をしながらトレードしていれば、分かってもらえると思う。いずれにしても、Eミニ(EミニS&P500先物、銘柄コードはES)チャートを見れば、どのような日だったのかはある程度分かってもらえるだろう。
日誌は、多くはその日の夜に書いていたが、日によってはトレード時間中に時間とコメントをメモすることもあった。本書巻末の付録に、当時のメモで使っていた略語と頭字語を載せてある。また、日誌のなかには特定のテーマについて書かれたものや、内省的なものもあれば(これらは週末に書いていた)、時間の経過とともに創造力が向上したことを示すものもある(このなかには、意欲と謙虚さを高めるための月末の資産残高のグラフも含まれている)。ちなみに、2009年初めからは、日誌の投稿に動画も使い始めた。もちろん、それは本書には掲載できないが、私のサイトで今でも視聴できる。文章については、小学5年生のときの文法の先生に謝っておきたい。この日誌には、文法的な「許容」(文芸作品などで許される逸脱、不完全な文章や主語の省略など)が見られるが、もともと自分の考えをまとめるために書いていた文章なので乱文は許してほしい。繰り返しになるが、この日誌は私が記録したことを「肩越しに」のぞいているだけだということを忘れないでいてもらえば、日誌も本書も意図を正しく把握できると思う。
最後に、短期的なマーケットデータを見るときは常に言えることだが、毎時間の「ミクロ」情報と、マーケットや人生のその日の出来事やリズムといった「マクロ」情報を合わせて見ることを強く勧める。マーケットのチャートと同じで、トレードも正しい流れのなかで見なければ意味がない。結局、大事なのはマクロとミクロの出来事をバランスよく見て全体像をつかむことであり、そうすればさまざまな時期における私の考えをよりよく理解してもらえると思う。
日誌をつけることとパフォーマンス
あとから振り返れば、日誌をつけたほうが、つけないよりも集中力と規律を維持する助けになったと思う。それと同時に、自分の考えを書き留めることは脳の別の部分を使う作業なので、マーケットだけに向いた頭をほぐすことにもなったと思う。また、イラ立っているときは日誌をつけることでかなり効率的に発散することができた。日誌が負のエネルギーを建設的な方向に向け、集中力とパフォーマンスを向上させてくれたことは間違いない。ブログの読者はスポーツや映画の例え話はもう聞き飽きたかもしれないが、ボクサーや競泳選手やそのほかのスポーツ選手などになぞらえるのは、やる気を引き出す強い働きがあり、失敗による落ち込みから再び自分を鼓舞できる状態に戻る助けになった。
日誌を書くメリットは、いくら書いても書き足りない。私が最も効率的にトレードできた期間が、毎日トレードに関する考えを日誌につける規律を持っていたときだったことは間違いない。
日誌のなかには、トレードテクニックについて教育的なことを書いたものもあるが、本を読んだだけでトレードを効率的に学ぶことは単純に不可能で、そんなに甘いものではない。それは例えて言えば、映画の「トップガン」を見て飛行機の操縦を学ぼうとするようなことだ。専門的な訓練は、育成に特化した質の高いプログラムに任せるべきだろう。ちなみに、そのようなプログラムのひとつがパート4で紹介するベータ版「ジェリー」トレードチームのビデオだが(トレーダー養成プログラムを記録したもので、収益の一部は慈善団体に寄付される)、もちろんほかにも信頼できるプログラムはある。本書に、特定のプログラム(ジェリープログラムを含めて)が最も優れていると主張する意図はまったくない。
自信と謙虚さのバランス
本を執筆するかどうかを決めるときに最初に考えたのは、良かれと思って書いても個人的なエゴやプライドが入り込んでこないかということだった。もちろんそれを最低限に抑えるよう編集段階でかなり注意深く書き直しを行ったが、それでも読者には多少気に障る部分が残っているかもしれない。確かな経験から得た有益な教訓を記録することと、好き勝手に役に立たない話を書くことは紙一重の差しかない。同様に、トレーダーがマーケットで利益を上げるために必要な自信と、いずれ自己満足や損失につながるうぬぼれの差も、やはり紙一重なのである。
私は、著者の誠実さと記録の信頼性が最も重要だと思っているため、本書ではトレードの資料を独自の方法でまとめてある。例えば、読者がある出来事を正しく把握するためには、具体的なパフォーマンスをマクロレベルとミクロレベルの両方で示すことが重要だと考えた。そこで、私が先物トレードを始めた2001年末から2011年10月31日までの10年間のデータもそのような形になっている。理由は3つある。まず、私の日誌は、その多くが2000年代後半に書かれたもので、そのパフォーマンスはパート2~パート6でミクロ的に分析していくが、それと同時に全体像――①すべてのトレード口座、②先物トレードを始めたころの状況(このなかには、多くの人が学習段階で被る「学費」とも言える損失や、本業とのバランスがとれないことによる損失、パート1で取り上げる高すぎるトレードコストなどが含まれる)――も示す必要があると考えた。2つ目に、全体像を示しておけば、うっかり良い結果が出た資金や期間ばかり選び、悪い結果を無視してしまうリスクを抑えることもできる。そして3つ目に、すべてを開示することは、ときに透明性を欠く業界において単純に正しいことだからである。
さらに、ブローカーの取引明細でさえ改竄が可能な時代において(2012年のPFGベスト社の事件など)、掲載したパフォーマンスのデータの有効性を確保するため、私は出版社に本書の内容に関する宣誓供述書を提出した。図らずも業界のリーダーと呼ばれる立場にある人は、誠実さと責任において高い基準を自らに課す必要がある。もちろん、私たちはいずれ神の前で責任をとることになるが、神は私が虚勢を張っているかどうかや、本の売り上げや、ブログの読者数などつゆほども気にしてはいない。大事なのは恥じることがないということなのである。
最後に、基本的なことだが、この日誌は「過去のパフォーマンスは、必ずしも将来のパフォーマンスを示すものではない」ということを念頭に置いて読んでほしい。これが素晴らしい結果についてもそうでない結果についても事実であることは、本書を読み進めれば分かる。
竹とチャンス
挑戦の旅を始める前に、大事なことを書いておきたい。私が最高のパフォーマンスを上げた時期は、数字で見ればいくつかのチャンス(仕事、家族、マーケットの状態、トレードスキルが進歩したことなど)が同時に開けた短い期間だが、実はその前に何年かの準備段階があったからこそこれらのチャンスを生かすことができたと思っている。このことは、オリンピックの体操選手の演技がわずか1分強でも、それはすぐに結果につながらない苦労と涙を重ねてきた結果であることと似ている。また、これは中国原産の竹が数年間地下で根を広げたあとにようやく地表に出ると、そこから急速に成長して、ほんの2~3年で30メートル以上になることにも似ている。竹にとって、地下の数年間はのちの成長を促し、支えるための強い地下茎を作るために必要な時間なのである。このような経験は、人生においても何回もあると思う。
竹と同じように、トレーダーの仕事にも「地下」で成長する時期があるし(私の場合はそうだった)、成熟期に近づけば成長が鈍ることもある。幸い、金融市場のトレードは、後述するとおり、チャンスが開けたときはそれを最大限生かし、それがないときは損失を最小限に抑えるということに尽きる。金銭的な報酬が一定額ずつ支払われる仕事と違い、トレーダーの収入のピークはチャンスが開けた短い時期に集中する。トレーダーの報酬は、何年間も心身を整え、何百回もの失敗や傷を負いながら金メダルをもたらす3回転ひねりができるトレードの「体操選手」になったときに、やっと手にすることができる。しかも、それは身体が必要な能力を失ったり、ほかの人生を選びたくなったりするまえでなければ遅いのである。
私はこのようにして歩んできた。それまでに、何百回もの骨の折れる経験を重ね、そのあとにも捻挫程度のことはあった。後者には、2010年5月の「フラッシュクラッシュ」(株価の一時的な急落)や、2011年のMFグローバルの破綻や、個人的な決意(それまで蓄えた利益を温存し、人生とトレード利益以外の収入のバランスをとること)なども含まれている。
トレード本ではあるけれど
この日誌は、トレードの記録であると同時に人生の記録でもあり、このことは本書でも繰り返し述べている。私は、トレードと人生がどれほど絡み合っているのかを何年もかけて理解したが、読者にはもっと早い時点で、時間と資源という損失をあまりかけずにそのことを学んでほしいと思っている。
詳細な日誌からトレードに関する洞察を期待して本書を読んだ人が、失望しないことを願っている。そして、より良いトレーダーになりたくて手に取った本書で、トレードと人生の関係を知ることになっても驚かないでほしい。
竹やチャンスやトレード日誌について書く前に、まずその始まりについて、若いころの恵みや障害も含めて書いておきたい。
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