米7月求人件数、労働市場が「変曲点」を迎えた可能性を示唆
「米国の労働市場は変曲点に近づいており、さらなる減速は失業率の上昇を意味する」――サンフランシスコ(SF)連銀のデイリー総裁は6月24日、このように警告したが、現実となりつつある。
米7月雇用動態調査(JOLTS)のうち、求人件数は前月比3.0%減の767.3万件となり、2021年1月以来の水準へ落ち込んだ。
818.4万件から791万件に下方修正された前月を含め、年初来で5回目の減少となる。
結果、パウエル米連邦準備制度理事会(FRB)議長を始め、Fedが注目する失業者1人当たりの求人件数は1.07件と、2021年5月以来の低水準に。
コロナ禍を除けば、予防的利下げを3回行った2019年のレベルを下抜け、2018年4月以来の低水準となる。
チャート:失業者1人当たりの求人件数、コロナ禍を除けば2018年4月以来の低水準
これにより、求人件数をY軸、失業率をX軸にとったベバリッジ曲線(右下がりが労働市場の悪化を示す)が、小幅ながら右下へシフトした。
まさに、デイリーSF総裁が警告した通り、変曲点に到達した可能性を示した。
チャート:ベバリッジ曲線、右下は小幅ながらシフトし労働市場の「変曲点」を示唆
米失業保険申請件数は低水準で推移も、不法移民が一因か
米地区連銀報告(ベージュブック)でも、労働市場の鈍化を反映した。
米労働市場について、全般的に「雇用は横ばいから小幅増」にとどまり、いくつかの地区連銀では「シフトや勤務時間の短縮、募集中の職種を空席のままで維持、自然減を通じた従業員数の削減を行った」と報告した。
また、米大統領選の命運を握るラストベルト(さびれた製造業地域)のうち、ミシガン州とウィスコンシン州を含むシカゴ連銀は「製造業、サービス業ともに、需要の鈍化を受け、レイオフやシフト削減を確認した」と明記。
激戦州で19人と最多の選挙人を抱えるペンシルベニア州を含むフィラデルフィア連銀に至っては、「フルタイムの雇用は非製造業で減少」し、「非製造業では従業員数が減少したと回答する企業が増加した」という。
激戦州での労働市場の悪化は、米大統領選の投票行動に影響を与えるに違いない。
労働指標が弱含みを示す一方で、米新規失業保険申請件数は23.1万件と低水準を保つ。
例えば、米7月失業率は4.3%と2021年10月以来の高水準だったが、米新規失業保険申請件数は22万~24万件台で推移していた。
対照的に、2021年10月は失業率が4.5%で、米新規失業保険申請件数は26万~31万件台だった。
この背景について、筆者はこれまで①退職金パッケージを受けた大手企業の従業員が失業申請をしていない、②正社員の職を失ってもパートタイムにシフトし失業保険を申請していない――といった事情が絡んでいると考えていた。
しかし、ここへきて新たな材料が見つかった。ウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)紙のFed担当記者で名高いニック・ティミラオス記者がゴールドマン・サックスのレポートを基に伝えたところ、不法移民の失業の実態を正確に捉えていない可能性があるという。
企業は不法移民を雇用する際、給与明細を発行するため雇用統計のNFPにカウントされるが、問題は失業保険にあり、不法移民は概して対象外だ(ただし、カリフォルニア州は支給可能)。
実際に、海外生まれと米国生まれの失業率(季節調整前)をみると、7月は海外生まれが4.7%と、米国生まれの4.5%を上回っていた。
チャート:海外生まれと米国生まれの失業率の推移
移民といえば、バイデン政権下で米労働力人口は、2020年2月から24年7月までに548.8万人増加するなかで、米労働力人口の回復を主導した原動力として知られる。
海外生まれの米労働力人口は2020年2月比379.9万人増の3,252万人に及んだ。
一方で、米国生まれは同168.9万人増の1億3,720万人に過ぎない。
海外生まれが占める米労働力人口の割合は7月に19.3%、過去最高の2月(19.4%)に次ぐ水準となる。
チャート:海外生まれと米国生まれ、労働力人口の推移
チャート:米労働力人口に占める海外生まれの割合
この海外生まれに、不法移民が少なからず含まれている可能性は極めて強い。
米国土安全保障省のデータによれば、メキシコ国境間の越境者数は2021-23年に約660万人と過去最大に膨らんでいた。
米新規失業保険申請件数が低水準の割に、失業率が上昇しているのは、失業率が電話や戸別訪問で調査を行う家計調査の管轄であるためだろう。
家計調査では、海外生まれに対し不法移民か否かを質問することはない。
従って、米新規失業保険申請件数と異なり、不法移民を取り込んだ統計と捉えられる。
家計調査の回答率が4月時点で69.7%と、NFPや平均時給などを給与明細ベースで調査する事業所調査の3月時点の43.5%より高いことも、注目される(ただし、事業所調査は約11.9万の企業・政府機関、約62.9万の個人事業主対象である一方、家計調査は6万世帯と小さい)。
いずれにしても、移民の急増、特に不法移民の増加により米労働市場の実態が把握しづらくなっていると言えそうだ。
逆イールドカーブが解消、米ISMは50割れ、米景気後退入りのサイン続く
弱い米7月JOLTSを受け、米債市場も反応した。
米10年債利回りと米2年債利回りの差がマイナスとなる逆イールドは8月に解消したが、9月4日には0.01ポイントとプラスに反転した。
逆イールドからの反転は1980年以降、米景気後退のサインとなってきただけに、イールドカーブも米景気の転換点を示したと言えよう。
チャート:逆イールドの解消、米景気後退入りのサイン
米景気後退のサインといえば、ISM製造業・非製造業の景気指数も挙げられ、そろって景気拡大・縮小の分岐点50割れとなった局面を経て、リセッション入りしていた。
米8月ISM製造業景気指数は47.2と、前月の46.8を上回ったものの5カ月連続で50割れ。
雇用も46.0と2020年6月以来の低水準だった前月から回復したとはいえ、3カ月連続で分岐点割れと芳しくない。
非製造業景気指数も足元で50前後にて推移しており、黄信号が点滅する状況だ。
チャート:米ISM、製造業と非製造業の50割れは景気後退入りのサイン
FF先物市場では米7月JOLTSや米8月ISM製造業景気指数などの結果を受け、再び年内2回の利下げ織り込み度が強まりつつあり、9月4日に35.8%と前日の23.8%から上昇した。
市場参加者が、米景気後退入りに備えつつあることは間違いない。
米景気後退入りへの懸念がくすぶる限り、ドル円の戻りは限定的となりそうだ。
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株式会社ストリート・インサイツ代表取締役・経済アナリスト 安田佐和子
世界各国の中銀政策およびマクロ経済担当の為替ライターの経験を経て、2005年からニューヨークに拠点を移し、金融・経済の最前線、ウォール街で取材活動に従事する傍ら、自身のブログ「My Big Apple NY」で現地ならではの情報も配信。
2015年に帰国、三井物産戦略研究所にて北米経済担当の研究員、双日総合研究所で米国政治経済や経済安全保障などの研究員を経て、現職。
その他、ジーフィット株式会社にて為替アンバサダー、一般社団法人計量サステナビリティ学機構にて第三者委員会委員を務める。
NHK「日曜討論」、テレビ東京「モーニング・サテライト」の他、日経CNBCやラジオNIKKEIなどに出演してきた。
その他、メディアでコラムも執筆中。
X(旧ツイッター):Street Insights
お問い合わせ先、ブログ:My Big Apple NY
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