「マールアラーゴ合意」を提案したミランCEA委員長の「奇策」
桜吹雪が舞う折、金融資本市場に春の嵐が直撃した。
トランプ大統領が4月2日に相互関税を発表すると、中国は自国に課せられた税率34%の報復措置を決定。
トランプ政権が返す刀で4月8日に警告した通り9日の相互関税発動に合わせ、追加で50%上乗せ104%へ引き上げると、中国も9日に同様の措置を講じ対米追加関税を84%に設定し、10日から発効する運びとなった。
世界の二大経済大国が全面的な貿易戦争に突入する懸念から、金融資本市場に再び激震が走り、安全資産であるはずの米国債にも売りが殺到。
米10年債利回りは時間外取引で一時4.515%と、前日比22bp(ベーシス・ポイント、1bp=0.01%)超も急伸し、中国が報復措置の一環として米国債の大量売却に踏み切ったとの噂が飛び交った。
結局は、トランプ政権が4月9日、報復を決定した中国以外の各国・地域に90日間の相互関税の一時停止を決定。
中国に対しては、125%へ税率を引き上げるとし、中国を孤立させる方向へ導いた。
そうしたニュースが飛び込む前まで、4月9日は中国による米国債売却の観測以外に、米国債が売られる理由が取り沙汰された。
X(旧ツイッター)で、トランプ政権の経済担当高官が、米国債などドル資産を保有する海外投資家に「課税」する計画を明らかにしたとの投稿が拡散されたためだ。
きっかけは、ホワイトハウスが4月8日に掲げた、スティーブン・ミラン米大統領経済諮問委員会(CEA)委員長の講演内容である。
保守系シンクタンクのハドソン研究所で行った講演で、ミラン氏は米国が世界に対し、①安全保障、②基軸通貨のドルと安全資産である米国債――という「グローバルな公共財」を提供してきたと指摘。
その結果、米経済が財政と貿易の観点で歴史的な不均衡に陥ったと主張し、①関税、②安全保障面での他国による責任分担(burden sharing)、③製造業の強化――を通じ、米国には経済的公正さを取り戻す必要性があると強調した。
画像:ミラン氏の講演内容
(出:The White House)
問題は、ここからである。
ミラン氏が挙げた「責任分担」の5つの手段は以下の通りだが、市場関係者は5番目に注目した。
①他国が報復を行うことなく、米国への輸出品に対する関税を受け入れるなら、米財務省の関税収入は増加し、公共財を供給するための資金調達の手助けとなる。
報復は責任分担の改善ではなく悪化させるため、グローバルな公共財の資金調達をさらに困難にする。
②不公平で有害な貿易慣行を排除するため、自国の市場を開放し、米国からの購入を増やす。
③防衛費増額や米国からの防衛調達品を引き上げ、米製品の購入を拡大すれば、米軍の負担を軽減でき、米国内で雇用創出が可能になる。
④米国内に工場を設置し投資することで、自国製品を米国内で生産した場合、関税を回避できる。
⑤単に米財務省に小切手を送ることで、グローバルな公共財の資金調達を支援することが可能となる。
この5番目の「米財務省に小切手を送る」という表現が、ミラン氏が2024年11月に執筆したレポート内容を想起させ、海外投資家への「課税」に対する懸念が強まった格好だ。
ミラン氏いわく、課税が可能な根拠とされた「国際緊急経済権限法(IEEPA)は、行政が望む場合、外貨準備の蓄積を抑制するために使用することが可能。ドルの過大評価の根本原因が外貨準備積み増しならば、米財務省は米国債を保有する海外中銀に使用料を課すなど、利息支払いの一部を差し引くなどの手段が考えられる」。
この使用料、利息支払いの一部を差し引くといった表現が、課税と解釈された。
4月8日付けのミラン氏の講演原稿では「海外中銀」と明記されず、ただ「小切手を送る」との表現にとどまったため、一部で米国債を保有する海外投資家に課税されるのではとの懸念を深めた。
チャート:米国債保有高、日中の比較
なお、同レポートと言えば、「マールアラーゴ合意」を提案した内容で知られる。
マールアラーゴ合意とは、世界貿易システムの改革と、持続的ドル高に伴う経済不均衡の是正を目指すもの。
仕組みとして、各国が外貨準備に含まれる米財務省短期証券などを売却→100年物の割引債といった超長期債への転換を図る。
そうすれば、外貨準備の積み増しに伴うドル高が是正され、米金利を低位安定させ、米国の製造業の活性化につながり、利払い負担が縮小し米国の財政が改善するため、安全保障のための米国債発行が抑えられるというわけだ。
米国債保有に対する「課税」、高いハードル
では、ミラン氏が主張するようにIEEPAを通じて「課税」できるかというと、難しいと言わざるを得ない。
まず、そもそも、合衆国憲法第1条第8項は、議会に関税を設定し、外国との商業を規制する権利を付与している。
米議会を無視して課税するならば、れっきとした根拠が必要だ。
しかし、IEEPAは「制裁」の権限を与えるが、「課税」が主眼ではない。
だからこそ、従来は通商法が用いられ、IEEPAを根拠として課税したケースは異例となり、相互関税が事実上、初めてとなった。
その相互関税も、貿易赤字削減や製造業衰退という国家安全保障上の理由で発動したが、従来の「経済制裁」や「資産凍結」といった適用範囲を超えるもので、物議を醸している。
別の根拠法を持ち出す場合が考えられるが、それも難しいだろう。
ニクソン政権は1971年、ドルと金の交換停止と共に、10%の輸入課徴金を課す「ニクソン・ショック」と呼ばれる経済政策を打ち出した。
当時、日本のジッパー製造業者が不当だとして提訴したものの、1917年対敵通商法(TWEA)を根拠に、輸入を「規制する」権限が認められた。
しかし、IEEPAは1977年に、TWEAの緊急時の乱用を阻止する狙いから定められており、現時点でTWEAが適用される公算は小さい。
トランプ氏は大統領令で、内国歳入法第891条を下にデジタル課税などの調査を命じており、同法が適用されるのではとの観測もある。
同法の下、米国民または米国法人に「差別的」または「域外適用」に該当する課税を行った場合、大統領の権限によりその国の国民や法人に対する税率を2倍に引き上げることが可能だ。
しかし原則として、報復措置を講じるための法律で、実際に適用されたことはない。
そもそも、どの法律を根拠法としても、法廷闘争に持ち込まれる見通しだ。
課税ができたとしても、海外中銀などには抜け道がある。
ブリュッセル、ルクセンブルグ、ロンドンなどオフショアのカストディアンに移せば、課税逃れが可能になる。
中国による米国債の取り崩しが話題になりがちだが、実はオフショアへ移管しているとの説もある。
トランプ政権は基軸通貨としてのドルを堅持する立場なだけに、ドルの価値毀損や米国債の安全資産としての地位喪失につながる政策を打ち出すとは考えづらい。
米国債を保有する海外中銀や海外投資家に課税するという奇策の実現可能性は、現時点で低いと言わざるを得ない。

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株式会社ストリート・インサイツ代表取締役・経済アナリスト 安田佐和子
世界各国の中銀政策およびマクロ経済担当の為替ライターの経験を経て、2005年からニューヨークに拠点を移し、金融・経済の最前線、ウォール街で取材活動に従事する傍ら、自身のブログ「My Big Apple NY」で現地ならではの情報も配信。
2015年に帰国、三井物産戦略研究所にて北米経済担当の研究員、双日総合研究所で米国政治経済や経済安全保障などの研究員を経て、現職。
その他、ジーフィット株式会社にて為替アンバサダー、一般社団法人計量サステナビリティ学機構にて第三者委員会委員を務める。
NHK「日曜討論」、テレビ東京「モーニング・サテライト」の他、日経CNBCやラジオNIKKEIなどに出演してきた。
その他、メディアでコラムも執筆中。
X(旧ツイッター):Street Insights
お問い合わせ先、ブログ:My Big Apple NY
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