トランプ政権、中国との覇権争いの初手は追加関税発動

ニュース

トランプ政権、貿易戦争ではなく「麻薬戦争」と位置付け

「これは貿易戦争ではない、麻薬戦争だ」――ハセット国家経済会議(NEC)委員長は2月3日、トランプ氏が署名した関税発動をめぐる大統領令につき、こう説明した。

2月1日に署名した大統領令では、4日からカナダとメキシコへ新たに関税25%、中国に追加で関税10%を発動する内容を盛り込んだ。
国際緊急経済権限法(IEEPA)に基づく、初めての関税発動となり、不法移民やフェンタニルを中心とした違法薬物の米国流入を、国家安全保障上の脅威と位置付けた格好だ。
もっとも、カナダとメキシコに対しては、発動直前の3日に電話会談を通じ、30日間の先送りで合意に至った。
カナダもメキシコも、国境警備の強化と人員1万人の配備を約束し、メキシコについては米墨作業部会の設立を提案した。
なお、フェンタニルは極めて強力な鎮痛剤で、合成オピオイドである。
最大でモルヒネの100倍、ヘロインの50倍の効力があるとされ、わずか2-3mgで呼吸停止、場合によっては死を引き起こすリスクがあるという。

不法移民とフェンタニルの流入阻止は、トランプ氏がホワイトハウスのWebサイトに掲げた優先課題に最初に掲げられた公約だ。
米国土安全保障省 税関・国境取締局 (CBP)が公表する不法移民とフェンタニルに関するデータを見れば、優先課題である理由は明白である。

フェンタニルの急速な普及の陰で、米国のフェンタニル死亡者も大幅増

トランプ1期目に不法に米国の国境を越えた、いわゆる不法越境者数は2017~20年の会計年度(10月開始、9月終了)で約300.5万人だった。
バイデン前政権では約1,082万人と、トランプ1期目から3.5倍以上も急増した。

チャート:不法越境者の推移
チャート:不法越境者の推移

一方で、フェンタニルはというと、CBPでは差し押さえ量のデータについて2022年度から公表しているため、トランプ1期目と比較すべく代替のデータを調べてみた。
アメリカ国立衛生研究所(NIH)が公表する「法執行機関が差し押さえたフェンタニルが含まれる錠剤」によれば、2017~20年度は約606万錠だった。
対して、バイデン前政権下の2021~23年度では1億7,147万錠と、トランプ1期目から28倍以上と驚異的な増加を示す。
前政権での数字が2023年度までの3年間というのも、特筆に値する。
いかにバイデン前政権下で不法移民が急増し、フェンタニルが蔓延したかが伺える。

チャート:差し押さえられたフェンタニルの錠剤
チャート:差し押さえられたフェンタニルの錠剤

米国でフェンタニルが急速に普及していく流れで、死亡者数も指数関数的に増加した。
NIHによれば、トランプ1期目(2017~20年、暦年ベース)の3万8,169人から、2021~22年の2年間で14万4,439人と4倍近くに膨らんだ。

チャート:フェンタニルの死亡者数
チャート:フェンタニルの死亡者数

フェンタニル蔓延の一因に、コロナ禍も

フェンタニルの死亡者数が急増した背景として、非営利団体USAファクツは、2010~20年にかけ、人口100人当たりのオピオイド処方率が81.32→43.3へ低下したと説明した上で、違法製造のフェンタニルの流通が影響した可能性を挙げる。

特に、トランプ1期目にフェンタニルの死亡者数は前年比で2万人超も急増したが、当時はコロナ禍で巣ごもり生活を強いられ、職を失うなどの事情から、薬物に依存する人が増えたとされる。
加えて、警官による黒人男性殺害の事件を経て、人種差別抗議活動の「ブラック・ライブズ・マター」と、「警察予算を削減せよ」といった運動が全米を席捲。
非白人への職務質問は差別と受け止められ、通常のような犯罪防止が困難となった。
NIHが2022年5月に紹介したレポートによれば、暴力犯罪での通報を受けた警察の出動は増加したものの、窃盗や強盗、交通ルール違反、その他に関する通報への出動は減少したという。

フェンタニル生産地の中国を狙い撃ち、トランプ1期目の反省も?

米国に深刻な影響を与えるフェンタニルの主な生産地のひとつは、中国だ。
だからこそ、トランプ政権は同盟国のカナダとメキシコを挟みながら、狙い撃ちしたのだろう。

中国は2019年、フェンタニルの生産並びに販売につき、厳格な規制を導入したが、その後も同国の生産者はフェンタニル製造に必要な化学物質をメキシコのカルテルなどへ継続輸出した。
米国麻薬取締局(DEA)が2020年1月に公表したレポートによれば、「メキシコと中国がフェンタニルおよびフェンタニル関連物質の主な供給国」と位置付けられていた。
英BBCによれば、米国でのフェンタニル犯罪に絡む起訴状には、中国の製造業者が販売する製品からフェンタニルを作る方法など、暗号化プラットフォームや暗号通貨の支払いを通じて指示していた事例が詳細に記載されていたという。

問題はフェンタニルがどのように米国に流入するかだが、普通郵便や小包で比較的簡単に運ばれてきた。
米国務省が2019年に公表したレポートでは、電子商取引の普及により、中国から発送される荷物の数は劇的に増加し、2007年の12億個から2015年には206億個へと16倍以上に増加。
米国郵便公社(USPS)が処理する国際郵便の量は、2013年から2017年の間に3倍以上に増加し、1億4,950万個から4億9,830万個となった。

こうした増加に加え、オバマ政権時代の2016年に米政府は関税支払いなどが免除されるデ・ミニミス対象の輸入申告額を200ドルから800ドルに引き上げ、大半の個人のインターネット購入商品が関税なしで米国に流入するようになった。
結果、2016年にはフェンタニルによる死亡者が前年比9,832人増と、当時としてはデータ公表を開始した1999年以降で最大の増加幅を記録した。

トランプ1期目ではこうした事態に対応すべく、2018年10月には中国企業が支払う米国宛て小包郵送料を割安にしてきた国連傘下の万国郵便連合(UPU)からの離脱を表明。
UPUは発展途上国の支援の一環で郵送料金を低価格に抑えるが、中国を途上国に分類しており、これに反発したものだ。
ただし、2019年の第1弾貿易合意を前に撤回、同年10月、フェンタニル密輸防止のためにUSPSの検査体制を強化したが、これにはUPSやフェデックスなど民間の配送業者を含まなかった。
トランプ2.0でフェンタニル流入阻止を強化する背景には、1期目での反省があるのかもしれない。

米、対中追加関税発動に合わせ小口輸入品の免税措置も撤廃

トランプ2期目は、カナダやメキシコを巻き込みながら、追加関税というカードを切り中国への圧力を強めている。
2月4日から追加関税10%を発動させたが、この大統領令には追加関税対象品に中国と香港の原産品だけでなく、800ドル未満の輸入品への免税措置(デ・ミニミス)の撤廃も含んでいたため、USPSは同日、中国と香港からの国際郵便小包の受け取りの一時停止を発表した。
フェンタニル流入阻止が狙いであることは、言うまでもない。

ただ、今回のUSPSの対応は、中国系の通販サイトのアリババやJDドットコムのほか、格安通販サイトの「SHEIN(シーイン)」、「Temu」を巻き込むだけに、景気減速に直面する中国にとって痛手となること必至。
ただ、間もなくこれを撤回し、USPSは中国と香港からの郵便小包の受け取りを継続すると発表。
あくまで足元は「麻薬戦争」と位置付けるだけに、今回は一旦切り札を温存したようにみえる。

トランプ氏が切ったカードに対し、中国側も2月4日に報復措置を発表した。
ただし、キャピタル・エコノミクスが試算するように、原油や液化天然ガス(LNG)などが対象に含まれるものの200億ドル相当にとどまり、トランプ氏が発動した追加関税対象の4,500億ドル相当を大きく下回る。
トランプ氏が週内の電話会談に言及するだけに、交渉余地を残したのだろう。
ウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)紙によれば、中国は米国との対話を控え、①輸出促進のための人民元誘導を行わないと確約、②2020年1月に発効した第1段階の合意につき実現可能な額への修正提案、③米国によるTikTok買収に干渉しない方針を明確化する――などの提案を用意しているという。

チャート:中国の報復措置
チャート:中国の報復措置

米下院、超党派で中国へのデ・ミニミス適用の恒久的停止を狙う

米国側は今後、交渉が難航すれば関税引き上げの他、選挙公約で掲げたように、最恵国待遇の取り消しに踏み切る公算が大きい。
既にトランプ氏は就任日の1月20日に署名した覚書「米国第一の貿易政策」にて、恒久的正常貿易関係(PNTR)の見直しを指示。
PNTRは中国に2001年の世界貿易機関(WTO)加盟へ道を開いたもので、名指ししなかったものの中国が念頭にある。

米下院の中国特別委員会委員長、ジョン・ムーレナー議員(共和党、ミシガン州)は1月23日、民主党のトム・スオジ議員と超党派でPNTRを撤廃する法案を提出した。
同法案は非戦略品に最低35%、戦略品に最低100%課し、段階的に引き上げるもの。
関税を発動する状況で効果は限定的とみられるが、中国へのデ・ミニミスの恒久的な適用廃止が盛り込まれるだけに、米国への小口の輸出品に対しても関税率も段階的に引き上げられる見通しで、中国としては回避したいはずだ。

トランプ政権は中国への追加関税発動に対し「麻薬戦争」を御旗に掲げるが、中国との覇権争いの初手であることは間違いない。

株式会社ストリート・インサイツ代表取締役・経済アナリスト 安田佐和子

Provided by
株式会社ストリート・インサイツ代表取締役・経済アナリスト 安田佐和子

世界各国の中銀政策およびマクロ経済担当の為替ライターの経験を経て、2005年からニューヨークに拠点を移し、金融・経済の最前線、ウォール街で取材活動に従事する傍ら、自身のブログ「My Big Apple NY」で現地ならではの情報も配信。
2015年に帰国、三井物産戦略研究所にて北米経済担当の研究員、双日総合研究所で米国政治経済や経済安全保障などの研究員を経て、現職。
その他、ジーフィット株式会社にて為替アンバサダー、一般社団法人計量サステナビリティ学機構にて第三者委員会委員を務める。
NHK「日曜討論」、テレビ東京「モーニング・サテライト」の他、日経CNBCやラジオNIKKEIなどに出演してきた。
その他、メディアでコラムも執筆中。
X(旧ツイッター):Street Insights
お問い合わせ先、ブログ:My Big Apple NY


本ホームページに掲載されている事項は、投資判断の参考となる情報の提供を目的としたものであり、投資の勧誘を目的としたものではありません。投資方針、投資タイミング等は、ご自身の責任において判断してください。本サービスの情報に基づいて行った取引のいかなる損失についても、当社は一切の責を負いかねますのでご了承ください。また、当社は、当該情報の正確性および完全性を保証または約束するものでなく、今後、予告なしに内容を変更または廃止する場合があります。なお、当該情報の欠落・誤謬等につきましてもその責を負いかねますのでご了承ください。

この記事をシェアする
一覧へ戻る

ホーム » マーケットニュース » トランプ政権、中国との覇権争いの初手は追加関税発動