慎重な植田総裁、12月の追加利上げの選択肢を確保

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物価と賃金の指標、日銀の見通し「オントラック」を示唆

植田日銀総裁と言えば、慎重な人物と評される。
日銀の審議委員を務めた1999年に時間軸政策を推進した他、2000年にはゼロ金利解除に反対票を投じたためだ。
9月20~21日に開催した日銀金融政策決定会合後の会見では、政策判断にあたり「時間的な余裕はある」と明言。
9月24日、10月25日にも同様の見解を表明し、追加利上げ観測の後退を招いた。

しかし、10月30~31日の日銀会合後の会見では、「時間的な余裕」につき、今後は使用しないと撤回を表明した。
米経済の下方リスクを見極める上で時間的余裕があると判断したと説明したが、衆議院総選挙を控え政治への配慮に加え、ドル円の動向が影響したことは想像に難くない。
米9月雇用統計を始め米経済指標が堅調だった結果、米連邦準備制度理事会(FRB)の追加利下げ期待が低下、ドル円は9月16日に140円割れへ下落した後、10月末までに153円台を回復するに至った。

日銀は持続的・安定的な物価目標2%の達成を目指す。
2022年以降、ドル円でドル高・円安が進行する過程で、植田総裁がいう第1の力、すなわち原油など資源高や輸入物価の圧力を受けて全国消費者物価指数(CPI)を支え、2%超えでの推移をもたらしてきた。
以下のチャートをみれば、ドル円が140円を超えて推移していた過程で、物価目標の2%を概ね達成できていた事実が浮かび上がる。
10月全国CPIのコアは前年同月比2.3%上昇と伸び自体は鈍化しつつも、31カ月連続で日銀の物価目標2%を上回った。

チャート:ドル円140円超えで、CPIは概ね2%超えを達成
チャート:ドル円140円超えで、CPIは概ね2%超えを達成

翻って足元、ドル円は11月15日に一時156.75円と7月下旬以来の高値をつけ、物価上昇圧力を再び高めつつある。
10月企業物価指数は前年同月比3.4%の123.7と、伸び率は23年8月以来の高さとなり、指数では2カ月連続で過去最高を記録した。
コメなど農作物や非鉄などの値上がりに加え、価格改定月により自動車部品など中間財も押し上げ要因になったとされる。

このうち、円ベースでの輸入物価指数は前年同月比2.2%と2カ月連続で低下したが、前月比では3.0%上昇、3カ月ぶりにプラス圏を迎えただけでなく、約2年ぶりの強い伸びを記録。
ドル円が140円割れから153円台を回復し、輸入物価を押し上げたのは明白だ。

チャート:9月の輸入物価指数(円ベース)は、前月比3.9%に加速
チャート:9月の輸入物価指数(円ベース)は、前月比3.9%に加速

9月実質賃金は前年同月比0.1%下落し2カ月連続でマイナスも、下げ幅を縮小した。
名目賃金にあたる現金給与総額は同2.8%上昇、賃上げ効果で堅調なペースを維持。
はたらき方改革を受けた残業時間の減少で所定外給与がマイナス要因となった。
一方で、エコノミストが注目する共通事業所ベースの所定内給与(一般)は同2.9%、前月を上回り過去2番目の強い伸び、賃上げ継続を示唆した。

チャート:9月の共通事業所ベース、一般の所定内給与は2016年以降で2番目の強い伸び
チャート:9月の共通事業所ベース、一般の所定内給与は2016年以降で2番目の強い伸び

10月の日銀金融政策決定会合の「主な意見」を振り返ると、今後の日米の財政政策の展開、為替相場の動向について、「物価への影響を懸念」するとの文言を維持した。
また、「追加的な利上げを展望していく状況」と明記。
これらに加え、物価と賃金動向を評価すれば、賃金と物価の好循環を確認するとともに、日銀の物価見通しに「オントラック」と判断でき、追加利上げが近いと考えられるのではないか。

植田総裁、英語で12月に向け「非常に多くのデータや情報が入手可能」と発言

ただ、市場での12月の追加利上げ期待は現時点で高いとは言い難い。
QUICKが11月18日に発表した11月外国為替市場の月次調査で、12月の日銀金融政策決定会合で追加利上げを「実施しない」との予想が67%に及んだ。

11月18日に行った植田日銀総裁の挨拶では、追加利上げは「あくまで先行きの経済・物価・金融情勢次第」と言及。
「金融緩和の度合いを少しずつ調整していくことは、息の長い成長を支え、物価安定目標を持続的・安定的に実現していくことに資する」とも述べ、12月の追加利上げを示唆しなかった。
慎重な植田総裁らしい、深謀遠慮ぶりが垣間見れる。
結果、ドル円は瞬間風速で154円付近から155円台へ回復、約1円も急伸した。

もっとも、植田総裁は「2010年代と比べてもマイナス幅が拡大しており、金融緩和の度合いはむしろ強まっている」と強調。
資料でも、1年物と10年物の実質金利でマイナス幅の深さを示す徹底ぶりで、これは長く高い利上げの道筋を暗示しているかのようだったが、少なくとも為替市場はスルーしたようだ。

画像:植田総裁が使用した実質金利のチャート
画像:植田総裁が使用した実質金利のチャート

11月21日、フランス大使公邸で開催された「パリ・ユーロプラスファイナンシャル・フォーラム2024」のイベントに登場した植田総裁は、質疑応答で、10月会合の「主な意見」に沿い、経済・物価見通しの策定においては為替の動向を考慮に入れる方向性を打ち出した。
さらに、12月18~19日の日銀会合を控え「まだ1カ月程度ある。それまでの期間に非常に多くのデータや情報が利用可能となるだろう」と明言。
11月18日の発言内容と比較すれば、データ次第で12月の追加利上げへの地ならしを行ったと受け止められる。
ドル円がロンドン時間に入り154円割れを試したのは、ロシアによる大陸間弾道ミサイル(ICBM)発射報道とNY連銀総裁の「金利はさらに低下する可能性」発言が重なったとはいえ、植田発言が効いた証左だ。
もともと慎重な植田総裁だが、11月18日の講演で深謀遠慮が過ぎたと判断したならば、修正に動いたのではないだろうか。
今回、英語での発言であり、海外向けに12月追加利上げの選択肢を示唆する意図があったとしてもおかしくない。

12月追加利上げのハードルは高いが、トランプ氏への「お土産」にも?

とはいえ、12月の追加利上げのハードルは明らかに2025年1月より高い。
展望レポートを予定しないほか、予算編成の時期に当たり、総合経済対策の内容が確定しなければ、日銀は経済や物価について見通しづらいためだ。

春闘をめぐっては、10月時点で2025年の春闘でベースアップ(ベア)相当分として3%以上、定期昇給分を含めて5%以上の賃上げを要求する方針を発表済みだ。
ただ、企業別労働組合・産業別労働組合の交渉内容決定は年明け1月を待つ必要がある。

一方で、4月と7月にトランプ氏がドル高・円安是正の必要性を主張していた事実を踏まえれば、トランプ氏の米大統領選就任前に「お土産」として、円安是正の追加利上げを行うという選択肢も考えられよう。
まして、ドル円が155円前後で推移するなら、輸入物価上昇が家計を圧迫するリスクも強まる。
慎重で知られる植田総裁が11月21日、敢えて12月に向け「非常に多くのデータや情報が利用可能になる」と発言、12月の追加利上げの選択肢を確保した意味を考えるべきだろう。

株式会社ストリート・インサイツ代表取締役・経済アナリスト 安田佐和子

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株式会社ストリート・インサイツ代表取締役・経済アナリスト 安田佐和子

世界各国の中銀政策およびマクロ経済担当の為替ライターの経験を経て、2005年からニューヨークに拠点を移し、金融・経済の最前線、ウォール街で取材活動に従事する傍ら、自身のブログ「My Big Apple NY」で現地ならではの情報も配信。
2015年に帰国、三井物産戦略研究所にて北米経済担当の研究員、双日総合研究所で米国政治経済や経済安全保障などの研究員を経て、現職。
その他、ジーフィット株式会社にて為替アンバサダー、一般社団法人計量サステナビリティ学機構にて第三者委員会委員を務める。
NHK「日曜討論」、テレビ東京「モーニング・サテライト」の他、日経CNBCやラジオNIKKEIなどに出演してきた。
その他、メディアでコラムも執筆中。
X(旧ツイッター):Street Insights
お問い合わせ先、ブログ:My Big Apple NY


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