中国の「米国債売り」、真実味を探る

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4月9日の米国債利回り急伸に、中国の米国債売りの思惑

「米国の例外主義の終焉か、安全資産神話の崩壊か」――4月9日の東京時間に米10年債利回りが一気に20bp以上(1bp=0.01%)も急伸し4.52%をつけた際、市場参加者の脳裏にこのような思惑が浮かんだに違いない。
当時、米国債利回りの急伸を巡り様々な憶測が流れ、本邦金融機関が大量の米国債を売った、日本を拠点とするヘッジファンドが60倍のレバレッジを掛けた米国債の取引に失敗した、などの噂が駆け巡ったものだ。
特に、まことしやかに流れた観測こそ、「中国による米国債の売却」だ。
中国は、国別で世界第2位の米国債保有高を誇るだけに、緊張が走ったことは言うまでもない。

トランプ大統領が4月2日に相互関税を発表、中国に34%を割り当てた後、米中間の関税をめぐるチキンレースが勃発した。
中国は3日に米国輸入品に対する関税を米国に合わせ34%へ引き上げ、トランプ政権が8日に50%上乗せし84%にする方針を示すと、9日に同率へ引き上げると発表。
米10年債利回りの急伸は、その間に発生したため、中国による米国債売却の思惑に信憑性をもたせたことだろう。
なお、トランプ政権は9日のNY時間に、中国輸入品への関税を84%どころか125%(フェンタニル流入を理由とした関税20%を合わせると145%)への引き上げを決定したため、中国も10日に125%へ引き上げると共に、これで打ち止めとする姿勢を示した。

チャート:米中、相互関税をめぐる双方の動き
チャート:米中、相互関税をめぐる双方の動き

いつか来た道、2016年の米大統領選直後も中国は米国債を大幅売り越し

習近平主席は4月14日、訪問先のベトナムでトランプ政権の相互関税などに対し「一方的ないじめ行為」と痛烈に批判、サプライチェーンと自由貿易の安定には米国と共闘する必要があると訴えた。
習氏の発言を踏まえれば、中国がチキンレースの舞台を関税から米国債に移すとの観測が浮上するのは自然だ。

実際に、時計の針を2016年に戻すと、トランプ氏が勝利した同年11月に米国債を大量に売却、その規模は663億ドルに及び、少なくとも2012年以降で最大を記録。
当時も、トランプ氏が中国の不公正な貿易慣行や人民元安誘導を名指しで非難していただけに、先回りして米国債に打撃を与えたのではとの観測が飛び交った。

チャート:中国の米国債保有高
チャート:中国の米国債保有高

しかし、中国の米国債保有高を振り返ると、トランプ氏の出現が売り材料となったわけではない。
実は、それ以前の2013年12月から、米国債の売り越しが目立つようになる。
2014年9月から2015年2月の間と、2016年6月から11月にかけ、それぞれ6カ月連続で売り越しとなる局面もみられた。
これは当時、米連邦準備制度理事会(FRB)が2013年12月に量的緩和の縮小(テーパリング)を決定し、2015年12月にゼロ金利解除すなわち利上げを決定した流れで、米国債利回りが急伸し(債券価格は下落)ドル高が加速した流れを受けたものだ。

当時、欧州債務危機の火種がくすぶるなか、中国は輸出入が減少、株安に直面し資金流出が取り沙汰される状況下、同年8月に人民元切り下げに動く。
「チャイナ・ショック」と呼ばれた余波は世界同時株安として広がり、記憶している人々も多いだろう。
つまり、中国の景気減速と株安の逆風に立たされ、米国債を売却し人民元を支える必要があったことになる。

今後、中国が米国への報復措置として米国債を売却しないとは限らない。
もっとも、米国債の大幅取り崩しは、中国自身が保有する価値の急落につながる。
何より、人民元はドルペッグ制から通貨バスケット制を導入したとはいえ、米国債を使用して対ドルでの人民元レートを目標圏内に安定化させているため、大規模な資金流出に端を発した金融不安につながりかねず、諸刃の剣だ。

チャート:2014~16年の人民元(オンショア)の対ドルレートと、米10年債利回り
チャート:2014~16年の人民元(オンショア)の対ドルレートと、米10年債利回り
(出所:TradingView)

トランプ1期目には、対中追加関税を課した。
その間、中国が米国債を取り崩したかというと、2017年1月比で2020年末に2.1%増の1兆723億ドルと、それほど変わらない。
むしろ、一旦増加して、振り出しに戻った格好となる。
米国債の売却が再び活発化したのは、米国がコロナ禍からのゼロ金利政策の脱却として、Fedが利上げへ舵を切った2022年3月から2023年7月の利上げサイクル時だ。
バイデン前政権でみれば、2021年1月比で2024年末に30.7%も急減し7,590億ドルに。
米10年債利回りはインフレ急伸やバラマキ政策を受け、2023年10月に一時5.02%と2007年以来の高水準をつけるなど債券価格の下落が著しかったことも、中国の米国債離れの一因だったのだろう。
ロシアがウクライナ侵攻後に国際的な制裁が科された事情から、中国が外貨準備の運用を多様化させたことが一因とされるが、Fedの金融政策が関係していたとしてもおかしくない。

イエレン前財務長官は4月15日、米経済・金融局CNBCのインタビューで米国債利回りの上昇について「市場で流動性が完全に枯渇するというような機能不全ではなく、経済政策への信頼喪失を示唆する」と述べた上で、一連の動きは「非常に憂慮すべきだ」と警告した。
単純に米国債利回り上昇が経済政策への信頼喪失ならば、イエレン氏は自身の任期中の米国債相場の動きをどのように解釈するのだろうか。

BRICS諸国の「ドル離れ」議論、根拠薄弱な理由

ベッセント財務長官は4月14日、国家による米国債売却の「証拠はない」と発言した。
それでも、中国以外の国が米国債売りの観測は消えないだろう。
トランプ政権の発足で、以前から取り沙汰されていた「ドル離れ」が起こるリスクが警戒されているためだ。
確かに、米国債発行高に占める海外の割合は2023年Q3に28.5%へ低下し約20年ぶりの低水準となった。
しかし、足元はFedの利上げサイクルの終了も手伝い、米国債の保有高は2024年Q4に29.5%へ改善している。

チャート:海外の米国債保有割合、23年Q3で一旦底打ち
チャート:海外の米国債保有割合、23年Q3で一旦底打ち

BRICS諸国の米国債保有高をみてもドル離れが加速しているとは言い難い(ロシアは2018年、ウクライナ問題や米大統領選介入、英国での二重スパイ暗殺未遂事件などを受け制裁強化懸念から大量に米国債を売却したため、除外)。
中国は引き続き米国債を取り崩す一方で、インドと南アフリカは増加、1月はトランプ1期目終了間際にあたる2020年末比で37.3%増、南アフリカも32.3%増だった。
ブラジルは29.7%減だったが、これはブラジル・レアルを支えるための介入が影響した。
現地紙バロールによれば、2024年のドル売却額は215.7億ドルと1999年にブラジルが変動相場制を採用して以来、最大だったという。

もうひとつ、特筆すべき点として、米国以外のカストディアン(投資家に代わって有価証券の保管・管理などの業務を行う金融機関)を抱える国での、米国債の保有高増加が挙げられる。
ゴールドマン・サックスが中国の外貨準備の「大規模なカストディアン」とするベルギーとルクセンブルクの他、英国で顕著だ。
例えば、ベルギーの米国債保有高は1月に2020年末比で82.9%増、ルクセンブルクは同60.6%増、英国については同64.5%増だった。

チャート:ベルギー、ルクセンブルク、英国の米国債保有高
チャート:ベルギー、ルクセンブルク、英国の米国債保有高

中国を始め各国の米国債の売却ならびに「ドル離れ」を確認する上では、BRICS諸国やカストディアンを抱える欧州など米国債保有高のデータを幅広く扱うべきだろう。
4月の相互関税をめぐる米国債保有高の動きは、6月18日に公表される4月対米証券投資で、明るみになる。

株式会社ストリート・インサイツ代表取締役・経済アナリスト 安田佐和子

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株式会社ストリート・インサイツ代表取締役・経済アナリスト 安田佐和子

世界各国の中銀政策およびマクロ経済担当の為替ライターの経験を経て、2005年からニューヨークに拠点を移し、金融・経済の最前線、ウォール街で取材活動に従事する傍ら、自身のブログ「My Big Apple NY」で現地ならではの情報も配信。
2015年に帰国、三井物産戦略研究所にて北米経済担当の研究員、双日総合研究所で米国政治経済や経済安全保障などの研究員を経て、現職。
その他、ジーフィット株式会社にて為替アンバサダー、一般社団法人計量サステナビリティ学機構にて第三者委員会委員を務める。
NHK「日曜討論」、テレビ東京「モーニング・サテライト」の他、日経CNBCやラジオNIKKEIなどに出演してきた。
その他、メディアでコラムも執筆中。
X(旧ツイッター):Street Insights
お問い合わせ先、ブログ:My Big Apple NY


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